「商店街」の理念を再考する@『商店街はなぜ滅びるのか』


本書の冒頭、こんな話が紹介されている。


東日本大震災で大きな被害をうけた石巻市旧北上川河口にある商店街も例外なく壊滅状態だった。震災から4ヶ月、ボランティアと地域住民の尽力によって、瓦礫はほぼ取り除かれ、街灯のLEDランプが灯るまでに復旧が進んでいた。ところが対照的だったのは、宮城県多賀城市の駅前地区。そこは郊外型大型店舗が立ち並ぶショッピングモール地区であった。

震災から三ヶ月経って再開したのはヤマダ電機などわずかであり、イオンの周辺には泥だらけのショッピングカートが放置されたままだった。

『商店街はなぜ滅びるのか』p.8


この対照的な光景を生み出した要因は、ボランティアの手が入った否かではないか、と著者は推察する。ショッピングモールと商店街──たしかに、どちらにボランティアが集まるかは容易に想像がつく。「商店街は、商業地区であるだけでなく、人々の生活への意志があふれている場所である(p.9 強調原文)」ことを示す象徴的なエピソードといえるかもしれない。


近年の商店街をめぐる言説は、経済的に非合理であり、悪しき既得権の代表で、なんといっても閉鎖的な共同体である、と見なすものがほとんどだった。たしかに一面的には当たっているかもしれない。しかし、その批判ははたして本質的であっただろうか? 商店街の意義、人々に必要とされた理由はもっと別のところにあったのではないか?
本書はこのような問いを立て、商店街の成立まで歴史的に遡り、その理念を「再発見」しようと試みる。

「商店街」の理念とはなんだったのか

著者は、商店街の成立を第一次大戦後にみる*1第一次大戦中は戦時景気に沸いた日本だったが、大戦終了後、反動で恐慌が発生し、離農者が相次いだ。これらの離農者の多くが零細小売業者として都市部で働きはじめたのだが、それによって大変な供給過多の状況が生まれる*2


そもそも当時の小売商は、物価の騰貴を招いている当事者として、消費者層と対立していた。そこへ商売経験のない人間が大量に参入してくるのだから、相当な混乱があっただろう。粗悪品が市場に出回るなどの問題もおきていたという。政府もなんとかしたいとは思いつつ、零細小売商の存在をたんに否定したんでは、彼らが極貧状況に陥り社会不安を引き起こす可能性があり、対策に頭を悩ませていた。そこで消費者は自己防衛のために協同組合を組織するようになる。また、自治体も公設市場を整備して解決をはかろうとした。


他方でちょうどその頃、百貨店が大衆化する流れが決定的になってくる。1923年におきた関東大震災のさい、一般大衆に向けた日常必需品の販売が一定の成功をおさめたことがキッカケとなったのだ。もちろん百貨店の存在は、零細の小売店にさらなる打撃を与えることになった。


こうした背景が「商店街」の理念を形成する下地を用意することになる。すなわち、都市における零細小売商増加の弊害、さらには簡単に事業に行き詰る彼らの救済のため、小売商の組織化が目指された。しかもここまでに挙げたような、当時の小売業の最新型といえる要素が貪欲に取り入れられている。それが「商店街」である。

「商店街」という理念

  1. 百貨店における近代的な消費空間と娯楽性。専門性の集約
  2. 協同組合における協同主義
  3. 公設市場における小売の公共性


商店街の形成は当初、繁華街のみが想定されていたが、徐々に生活インフラとしての「地元商店街」の重要性が認識されていく。実現にあたっては、酒・タバコなどの免許制度や、距離制限といった規制が活用された。ただし、万全に計画されたうえでの規制というよりは、太平洋戦争の総力戦に向けて生活インフラ整備が急務とされ、そのなかで強制転廃業が実施されたのだった。つまり、「地元商店街」の制度化はたしかに進められたものの、かならずしも理念に沿ったものとはいえなかった。

理念の忘却と崩壊

太平洋戦争後、日本は製造業中心の社会設計に舵を切る。その過程で戦前に構想された「商店街」の理念は社会に根づかないまま忘却されていく。最終的には、商店街の存在意義そのものが見失われた状況へと至るのは周知のとおり。著者はその理由を大きくふたつ挙げている。

商店街の崩壊の理由

  1. 商店街が恥知らずの圧力団体になったから
  2. 専門性をひとつの地域に集約するという理念が見失われたから


戦後の高度成長期、小売業の領域ではスーパーマーケットの台頭がはじまる。その筆頭が、「価格破壊」「バリュー主義」というフレーズを掲げたダイエーの創業者 中内功である。その当時は製造業が商品価格の決定権を持っていて、彼はそのことにブチキレていた。消費者に近い小売業者が価格決定権を持つべきだ、生産者優位の社会をつくりなおす!、と。パナソニック松下幸之助をはじめ、製造業側は猛反発するわけだけど、消費者はもちろんスーパーマーケットの論理を支持した*3。さらに中内はそれだけでは飽き足らず、商店街も規制に守られた既得権益者だとして攻撃を開始する。


たしかに商店街は規制に守られていた。中内の主張するように、消費者は「よい商品をできるだけ安く」買いたい。それは正しい。しかし一方では、商店街のメンバーである零細小売商たちはライバルだ。しかも自分の生活がかかっている。1960-70年代にかけてのスーパーの大量出店期には、商店街による反対運動が各地でおこった。また、当時の都市計画においても、スーパーマーケットと零細小売商の共存が求められていた。それが制度として結実したのが、1973年の「大規模小売店舗法(大店法)」、大規模店舗の出店を規制する法律である。


大店法の成立には、零細小売商の生活を守るという一定の正当性があった。とはいうものの、その内容はかなり商店街(中小小売店)側に有利な内容だった。そのうえ、調子に乗った商店街・零細小売商の連中は大店法のさらなる規制強化を求め、なんとこれが実現してしまう。そこでは完全に消費者不在だった。こうして零細小売業者が規制によって守られる根拠が理解されなくなってしまった。オイルショック後、日本と欧米諸国のあいだの貿易摩擦が深刻化し、アメリカから規制緩和を要請されることも重なって、地方経済や商店街崩壊のフェーズへと移行していく。

戦後の安定を支えた両翼

ところで、零細小売商は当時の自民党にとって重要な票田だったのだけど、零細小売商を支持したのは政局的な理由だけでもない。というのも、太平洋戦争の破局は、第一次大戦後の雇用不安が大きな要因となったのであり、完全雇用を維持する重要性を為政者たちは強く意識していたからだ。零細小売商が生活できなくなるような事態は避けなければならなかった。


戦後日本の安定というと、「日本型の終身雇用と専業主婦」モデルがその主要因とされる。でもじつはその安定を裏側で支えていたのは、零細小売商を含む自営業の安定であった、という点も著者が主張するもうひとつのポイントである(=「両翼の安定」)。つまり、現在の雇用不安は、正規社員になれない非正規社員の増加ばかりが焦点化されるけれども、自営業の環境もまた不安定なものになっているという問題でもある。だからこそ雇用以外の選択肢が取れなくなり、生じている現象なのである。


ちなみに、オイルショック(1973年)前のサラリーマンて「社会的弱者」という位置づけだったのよね。「クロヨン問題」(徴税差別)とかもあって。時代状況は変わるもので……。

コンビニによる内部崩壊

さて、大店法への対応として大手小売資本は戦略を大きく変えてくる。コンビニのフランチャイズ展開へ乗り出すのである。


商店街に所属する各小売店主は、それぞれに跡継ぎ問題を抱えていた。そこで商店街をささえつづけることよりも、家族の都合を優先し、コンビニ経営への参入を決める人が続出した。いうまでもなくコンビニは、「商店街」という理念にあった専門店同士の連帯無視して成り立つ業態である。つまりこれは「商店街」の内部崩壊を意味した。また大手小売資本にとっては、「抵抗勢力」であった零細小売商を自陣に引き込むという最大の目的の達成でもあった。「大規模小売資本は、「価格破壊」によって零細小売商を駆逐するという戦略から、零細小売商そのものをスーパーマーケットの論理に染め上げるという戦略へ(p.180)」。

商店街の担い手は「近代家族」であったため、事業の継続性という点で大きな限界があった。(……)実体としての近代家族が衰退しているなかで、商店街だけが生き残るわけがない。

同書 p.30


著者は本書の序盤でこのように述べていた。その内実とは以上のようなものである。

新しい「商店街」への展望

著者は一貫して、「商店街」という理念は評価できるが、それを担う主体に問題があった、という立場に立っている。むしろ、理念そのものへの評価はかなり高いといって良い。「その理念は、たんに力をもたない零細小売商を行政が保護するというに留まらない内容をもっていた」、と。

「商店街」という理念には、個々の小売業者を専門店化し、それを地域ごとに束ねることで、高い消費空間を提供しようという明確な目的があった。また、その空間に娯楽性を付与することで、コミュニティの人々がそこに気軽に集まりうる空間に仕立てようとする意図もあった。それは商店街という空間をとおして、新しい公共性の基礎をつくりあげる試みだった。

同書 p.92


ここで冒頭の被災地の話が思い出されるだろう。商店街は、商業地区であるにとどまらず、人々がそこに集う、新たな公共性の基礎となりうる場所なのだ。経済合理性ではたしかにスーパーマーケットのような巨大資本に太刀打ちできないが、そもそもする必要がないということを認識しなければならない。そこで勝負するという発想、対立軸を設定しようとすることじたいが間違っている。両者は互いに補い合うべき関係にあるのだから。


では、その理念をいかすためにどのような方法があるだろうか。結論部で著者は、武川正吾福祉国家「規制国家」と「給付国家」の二つの側面から捉えた提言を引用し、規制の必要性を強調する。近年では「規制=悪」という風潮がとにかく強いが、そうではなくて、のぞましい規制と悪い規制があるのだと。「既得権者の延命につながらない規制、地域社会の自律につながる規制が何であるかを、考察すること(p.205)」が重要である。


なお、具体的な方法論についてはわずかに触れているだけだが、

  • 距離制限に関しては国レベルで普遍的に設定
  • 免許交付などの権限は地方自治体レベルに委譲
  • 地域の協同組合や社会的企業に営業権を与える仕組み
  • 地域社会が土地を管理する仕組み
  • 意欲ある若者に土地を貸し出すとともに、金融面でもバックアップするという仕組み


といったことが挙げられている。すでにこうした取り組みをしている商店街もあるようなので、いずれ調べてみたいところ。

「商店街」という理念は、それぞれの店が専門店をめざすことで、共存共栄を図るものだった。社会学者の泰斗であるエミール・デュルケムは、『社会分業論』のなかで、社会分業が生じた理由を、「生存競争の平和的解決」と述べている。一部の商業者だけが勝利しても、地域全体の幸福につながらないことは明白である。くりかえすが、商店街の存在理由は「生存競争の平和的解決」にあることをあらためてかみしめたい。

同書 p.210

*1:「日本の商店街は、平安京までだどることができる伝統的な存在」とする主張が巷には存在するが、本書はその「起源」説に懐疑的である。なぜなら、中小の商店が集えば商店街になる、というわけではないからだ。いってみれば定義の問題だけれど、「商店の連なりだけには還元できないシンボル性をもった「商店街」(p.52)」の形成と、それが日本中にひろがっていく経緯を示すことにこそ意義があるはずだ、と。

*2:「たとえば時代は少し下るものの、1930年代初頭で、東京市内でお菓子屋が16世帯に1軒、米屋が23世帯に1軒と、小売業はとてつもなく過密な状況であった(p.56)」

*3:このあたりの事情は、佐野眞一『カリスマ—中内功とダイエーの「戦後」』が詳しい。