「草食系男子」コラムサイト、はじめます


ツイッターでも告知しましたが、新しい試みとしてコラムサイトを立ち上げました。「草食系男子」当事者の視点からいろんなテーマについて語る、といった趣旨の連載モノです。


http://herbivorous30.tumblr.com/


はたしてぼくが「草食系男子」を名乗るに値するのか?

という素朴な疑問はあるのですが、同年代の男性のなかでもまあ「草食系」といわれるクラスタにそこそこ親和性はある方かなあ、とは思っています。そもそも「草食系男子」の概念じたい定義は曖昧*1で、またそこに分類される男性たちも当然その内実は多様な人間たちなわけです。なので「自分こそが草食系男子の代表だ!」といった意識は最初からないし、あくまでも、ある個人のエピソードとして読んでいただければ幸いです。


このコラムは友人のライター @mameaki さんとの共同企画でして、ぼくが日々考えている話題をもとに、彼が文章を書いてくれています。このブログでは、これまでもジェンダー関係の記事をいくつか書いてきましたが、もうすこし軽い書き味のエッセイなんかもやりたいなあと思っていたところ、力を貸してくれることになったのでした。おそらくここでの記事よりはずっとボリュームも控えめで、ぼくにとっては率直に言って「語り足りない…!w」というかんじの文章量になりそうですが、逆にいえば、ぼくには決して書けない、思い切った軽快な作品になっており、読者の間口もぐっと広がるのではないかと思っています。

今後の予定


第1回から数回分は、このブログで反響の大きかった「立ちション」ネタを再構築した内容になる予定です。


立ちションできない男の子──男子トイレという恐怖空間


上記の記事は、公衆トイレをめぐるぼく自身の苦悩を言語化する試みであったのと同時に、同じ悩みを抱える人たち──とりわけ思春期の男の子たち──へのエール的な意味合いも込めたものでした。非常に思い入れのあるエントリーなのですが、「内容がちょっと難しい」という声もちらほらあり、もっと気楽に読めるテキストも用意したいと思っていたところでした。


http://herbivorous30.tumblr.com/post/66762451493/tachishon-dekinai1


今回はその冒頭部にあたる第1回。もともとは自分自身のネタでありながら、妙に客観的に(、そして随分と子どもっぽくw)描かれる「ぼく」の姿に戸惑いつつも、よく似た他人を見るような気持ちで、ぼく自身、毎回原稿を受け取るのがとっても楽しみです。

最後に

この試みの趣旨について、ツイッターでは以下のように書いたのですが、いちおう補足をしておこうかと思います。


「男子たるもの女子に後れを〜」とか茶化して書いていますが、これはもちろん冗談です。

男性ゆえの抑圧や苦悩が当事者の視点から語られる機会が少ないこと──この状況そのものがきわめて男性的な規範のなかにあるのではないか、という問題意識をぼくは(女性学/男性学に関わる多くの人たちと同様に)強く持っています。他方、女性がみずからの立場から性について語る試みには多くの蓄積があるわけで、じゃあ女性たちの取り組みを真似るところからはじめてみよう、というのが今回の趣旨のひとつなのですね。誤解を恐れずにいえばそれは「女々しさ」の再評価であり、そうした文脈にあるのが上記のツイートでした。


ここで語ったような試みが成功するかはまだ分かりませんが、興味をもっていただけた方はどうぞご笑覧くださいませ。

*1:参考:森岡正博氏の「「草食系男子」の現象学的考察」では、女性誌によって提唱された「草食男子」と森岡氏自身の「草食系男子」との概念(あるいはニュアンス)の差異が詳しく論じられています。

「痛み」を見えなくする力、乗り越える実践@『いのちの女たちへ』

誰かの「痛み」に寄り添うとはどういうことでしょうか。田中美津氏にならって言うなら、まずなにより「己れの闇」を直視し、「痛みを感知」することから始まる。そして自身の惨めさを出発点とした者同士が「出会う」こと──そんなところになるでしょう。それはけっして前向きな心境になれるよう促し、励ます行為を意味するのではありません。


他人の悩みについて話を聞くのは、多くのばあい、苦痛をともないます。ときには、その相手にたいして腹立たしい気分にさえなることもある。それには色々な理由が考えられるけれど、ぼく自身の経験上もっとも大きな理由のひとつは、彼女/彼のその「痛み」にどう接していいか分からず、不安になるからです。目の前にいるその相手の暗い表情をそれ以上見ているのがしんどくて、つい言ってしまう──「でも、もう過去のことだから」「現実はこうなのだから、仕方がない」「だから前向きに」……。


この本のなかで田中氏は「個人史」として、8歳の頃に受けた性的虐待に言及しています*1。ぼくの周囲を振り返るだけでも、「いたずら」レベルまで含めれば、思春期までの時期に性犯罪被害に合っている女性は相当にたくさんいて、彼女たちのその後の人生に多大な影響を与えていることが少なくないようです(ここでは言及しませんが、もちろん男性にも性的虐待のケースはたくさんあります)。そのダメージは、たんに男性不振という分かりやすい形で現れるとは限りません。というのも、彼女たちの多くは自分の身に起こったアクシデントの深刻さを、正確に把握し、伝えることができないからです。あるいは、かりに打ち明けても周囲の大人たちの適切な理解や対応を得られないことが多いからです。当然そこには家族関係のあり方も大きく影響してきます。性がタブー視されているために、他人に勘付かれぬ振舞いを躾として教えられ、彼女たちの「痛み」はまるでなかったもののように扱われる……。そうしたケースはけっして少なくありません。


さて、こうして心に負った傷はほんとうに「過去のもの」でしょうか? 負傷して以降、じくじくと患部が痛み続けることがあるように、彼女/彼たちが数年を経てもなお「痛い」と感じていても何の不思議もないはずです。その傷口は現在進行形で開いているかもしれず、その傷口の状態はろくに確かめもせずに、傷を負ったその時点だけをもって「過去のことだから」などと判断するのは軽率にすぎます*2

心の傷を癒したい、癒せなければ幸せにはなれない、と長い年月固く思い込んでいた。だがしかし、心が癒えるとは一体どういうことなんだろう。改めて考えてみると、それはわかるようでわからない。だって過去において悲しかったことはズーッと悲しい。今でも悲しい。振り返れば私はいつだって元気で、そして悲しく、悲しくってそして元気だった──。

『いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論』 p.353


ただ残念ながら現実には、周囲の大人や社会の要請によって、彼女/彼らの「痛み」は見えないものにされています。自分の「痛み」に気付かないことに慣れると、当然他人のそれも見えなくなっていくものです。それどころか、「痛い」と訴えるひとに嫌悪感すら抱くようになってくる。「おまえだけそんな身勝手な振る舞いは許されないぞ」、と。むろん、これは性犯罪被害にかぎった話ではありません。互いの「痛み」を取り除く方向ではなく、「痛み」を強いる体制を温存するというまったく真逆のベクトルへ。この本が書かれたのは1972年ですが、日本社会のその構図じたいは現在でも根強く残っているように見えます。

階級社会とは〈誰にも出会えない体制〉のことだ。「痛み」を「痛い」と感じない人は痛くない人ではなく、己れをあくまで光の中にいると思い込みたい人なのだ。「痛み」を痛いと感じないように呪文をかけ続けている人だ。

同書 p.190

己れの生き難さを感知しえない人とは、実は、存在そのものが鈍化している人なのだ。己れ自身から欺かれてる人なのだ。そういう人々は、体制の十八番である「あのヒトよりしあわせ」の論理に安堵している人々。

同書 p.254


不幸の相対化なんて、何の意味もないとぼくは思い続けてきました。「貧しい国のあのひとたち」より恵まれていようが、自分がツライもんは現にツライのだ! 不幸を相対化することに(苦し紛れの)意味を見出すとしたら、あくまで自分の惨めさに向き合ったそのあとで前に進むために、自分を鼓舞する目的で用いられる場合に限られるでしょう。無闇な「前向きさ」によって自分の惨めさを隠蔽してしまえば、体制の抑圧を温存することに繋がるし、なによりも、いつまでたっても自分にも他人にも「出会えない」*3


では、自分の惨めさに向き合う、とは具体的にどういうことでしょうか。田中氏が紹介する以下のエピソードが参考になります。

リブを運動化して間もない頃、それまであぐらをかいていたくせに、好きな男が入ってくる気配を察して、それを正座に変えてしまったことがあった。(……)楽でかいていたあぐらを正座に変えてしまった裏には、男から、女らしいと想われたいあたしがまぎれもなくいたのだ。その時、もし、意識的にあぐらか、正座かを己れに問えば、あぐらのままでいいと答えるあたしがいたと思う。しかしそれは本音ではない。その時のあたしの本音とは、あぐらを正座に変えてしまった、そのとり乱しの中にある。

同書 p.69


一方には、男性中心主義的な価値観における被抑圧者として抵抗の声を上げる自分、そしてもう一方には、にも関わらず、ヘテロ女性として好きな男性に認められたいという体制順応的な自分。「体制の価値観に媚びたい己れと、そうはしたくない己れ」という矛盾したふたつの思いに引き裂かれる「あたし」を正面から見据えること。〈ここにいる女〉の「とり乱し」から始めること。ウーマン・リブの解放理論が、女性解放運動の文脈に留まらない普遍性をもつ所以がここにあるように思います。ウーマン・リブの思想はかならずしも社会運動を奨励する思想ではなくて、もっと身近で、いわば卑近な〈生活革命〉の勧めなのです。



ところで「痛み」に寄り添うことのもっともシンプルな実践のひとつは、その人の傷に触れて、いっしょに(あるいは本人の代わりに)泣くことなのではないか──こうして文章にしてしまうとやや狡猾に響くかもしれないけれど──、とぼくは思っています。「痛い」といえなくなっている彼女/彼は、自分の傷を見て涙を流すひとに出会って、「あ、やっぱり泣いていいことなんだ」「悔しいと感じてもおかしいことじゃないんだ」と、自分の身に起こった辛い体験と、くり返し湧き起こる感情の正当性を初めて確信できることが少なくないように思うのです。またそれは、言葉で共感を示すこととは根本的に意味合いが異なるのではないか。というのも、そのひとは感情を表出する代わりに、言葉で納得する実践をまさにひとりで続けてきたのだから。それはたしかに傷口への鮮烈な痛覚を呼び覚ます苦しいプロセスです。でもその先にしか「出会い」とか癒しはないんじゃないかなあ。

*1:1992年の「文庫版へのあとがき」にて、田中氏は、じつはそれが就学前の6歳の出来事だったと振り返っています。「十三年を経ての訂正にこそ、性的虐待がもたらす悲惨の質が表れている。嘆息と共にそれを思う。」

*2:「こんなこと誰にも言えない」「もしかしたら自分が悪かったのではないか」「全然大したことない」といった語り、あるいは「汚れた存在」という自意識、そのことを過度に茶化した「自虐ネタ」……。性犯罪被害者の多くに共通するこれらの傾向は、負ってしまった「痛み」をなんとか表出せず、感じもせずに済ませる苦心の産物と解釈することも可能なのです。

*3:と同時に、「加害者の論理」に固執して自らの被抑圧者である側面を見落としがちだった1970年代と比較して、現在の日本社会では被害者意識への偏執が充満しており、その差異には注意すべきかも。

パーソナルスペースについて──混み合い、匿名性、身体境界


IMGP2363 / Wry2010


立ちションできない男の子──男子トイレという恐怖空間


思いのほか多くのひとに読まれた上記の記事。自分にとって長年のテーマであるだけに関心を持ってもらえたことが嬉しかったし、共感的な反応が多かったこともまた予想外だった。ところで、いくつか寄せられたコメントには「パーソナルスペース」に言及しているものが見られた。パーソナルスペースというと、心理雑学的に知っている程度でありながら、なんとなくそれで満足してしまうかんじのネタだったのだけど、よい機会なのでちょっと調べてみることに。


パーソナルスペースという考え方は、文化人類学エドワード・ホールが提唱したプロクセミックス(Proxemics)という、人間の空間利用にかんする理論に由来する。ホールはまず野生動物のなわばり行動に着目した。動物たちは、自分と同種あるいは異種の動物ごとに異なる距離を使い分けてなわばりを管理し、固有の社会を形成している。それを人間の社会生活の理解へ応用できるのではないかと考えたのだ。


ぼくたちは身体の表面(つまり皮膚)が自分と外界の境界だと素朴に認識している。ところがじっさいには、なわばりとしての「自己の領域」が身体の外側にまで広がっているのである。ホールによれば、人間は、「多種多様の情報を与える、一連の伸縮する場によって囲まれて」おり、いうなればそれは「習得された情況的パーソナリティ」とでもいえるものである*1。彼はなわばりとしての空間をいくつかの段階──密接距離、個体距離、社会距離、公衆距離(そのおのおのの中に遠近の相がある)──に分け、シチュエーションごとに適した距離の使い方があることを理論化した。そのうえで、人間と動物のちがいについて、次のようにいう。

人間と動物の主なちがいの一つは、人間が自分の延長物(エクステンション)を発達させることによって自分自身を家畜化したことと、それにつれて自分の感覚を遮断して、より狭い空間により多くの人間が住めるようにしたことである。

『かくれた次元』p.254


野生動物には「逃走距離」という身を守るための最小領域の境界が存在するが、当然家畜として扱う際には人間が近寄っても逃げたり暴れないようにする必要がある。「自分自身を家畜化」するとはそのような意味だ。そして人間の場合、目隠しなどの道具や建築構造に工夫をこらし、あるいは特定の心理状態を意図的につくりだすことで「自分の感覚を遮断」し、本来耐えられうるよりも遥かに密集した状態の社会環境に適応している、というのが彼の主張である。


ただし、大幅に縮小された逃走距離の空間といえども完全に消滅してしまうわけではない。「人間が互いに怖れあうようになると、恐怖が逃走反応を復活させ、爆発的に空間を欲するようになる。恐怖プラス混みあいが、恐慌をひきおこす(p.255)」と警告するホールの言葉は見逃せない。


空間の使い方によって人間の心理は大きな影響を受ける。と同時に、心理状態が空間認識そのものを変化させる。パーソナリティとしての空間はけっして固定的なものではなく、つねに変化する性質のものである。もちろんその程度には個人差がある。そして重要と思われるのは、空間のあり方は各人を取り巻く文化によって強く規定されるということだ*2。逆にいえば、特定の状況下で不快や心理的不安を生じるケースを考える場合、広い意味での文化や習慣について考えることが重要なのではないか。冒頭に挙げたエントリーはそのような意図をもって書かれた考察──「なぜ小便器周辺では、パーソナルスペースが極度に拡大されるのか」──でもあった。


ざっと調べた限り、ホール自身はパーソナルスペースという言い方をしていないようなのだけど、心理学の領域で定着した呼称と考えればよいだろうか。こちらの本では、より一般になじみ深い、心理学的な立場からの説明がなされており、興味深い事例が数多く紹介されている。なかでも男子トイレでの観察実験は題材としてビンゴというかんじ。


それはこういう実験内容だ。小便器が三つある男子トイレで、そのうちのひとつに「故障中」の張り紙をしブラシを突っ込んでおく。利用可能なふたつの小便器のうち、片方の前に被験者男性が立った直後、空いている小便器の前にさくらの男性が立つ。ようするに、(1)小便器をひとつ挟んで二人が並ぶ場合と、(2)すぐ隣に並んでしまう状況を意図的に作り出すわけだ。そのうえで観察者は個室にこっそり隠れ、被験者の尿の音に耳を澄まし、排尿が始まるまでの時間と排尿そのものに要した時間を計測する……。


この実験から得られた平均によれば、隣合わせのケースでは、「排尿が始まるまで時間がかかり、排尿そのものに要した時間は短くなっている」傾向が明らかになったそう。著者の渋谷は、「未使用の便器が暗黙の緩衝帯の働きをしている」と分析しているが*3、これはぼく自身(そしておそらく多くの男性たち)の経験的感覚とも一致する。また、被験者とさくらの男性が顔見知りである場合にはこの傾向がとりわけ顕著だという。立ちションに苦手意識を持つぼくなどは、小便器に立ってから排尿が始まるまでの間に、別の男性に並ばれてしまったとき、「どうせ知らない人だ。見ず知らずのおっさん、どうでもいい存在だ」と暗示をかけることさえじっさいにある。


匿名性とパーソナルスペースの関係については、別の例も紹介されている。たとえば、電話ボックスに極限まで人間を詰め込むというあるテレビ番組での実験で、リハーサル時にきっちり詰め込めた人数を本番で再現しようとしたところ、どうしてもボックスのドアを閉めることができなかった。実験者たちは当初、互いに見知らぬ者同士だったが、リハーサルから本番までの間に知り合い同士になってしまい、相手の体を乱暴に押したり、所かまわず触ったりすることができなくなってしまった、というのである。「匿名を装うことによって、双方のパーソナル・スペースを限りなく縮小させることができる」ことが示唆された実験といえるし、満員電車などを思い起こせば納得がいく話に思える。


ほかでは「身体像境界」という概念も興味深い。たとえば、ある種の統合失調症患者は自己と外部世界の境界が曖昧であるために、自分のすぐ横を車が抜き去っていくと、まるで自分の内臓が引き潰されたような感覚をもつという報告や、あるいは、「精神分裂病の女性は、派手なチェック模様の洋服を着ることで自分の身体像境界を堅牢なものにしようとする(p.167)」といった傾向性が紹介されている。孫引きになるけど、サイモン・フィッシャーもまた同じ問題を『からだの意識』のなかで語っていた。

かつて興奮した精神分裂病者をおとなしくさせるために好んで使われた方法のひとつは、患者をぬれたシーツできっちりと包んでしまうことであった。患者は、湿った袋のようになった容器の中に入れられて、動きがとれなくなる。このやり方を非人間的とみなした者もいたが、他の者はそれが重症の「統制の利かなくなった」精神疾患者にとっては救いである、との感を強くしたのである。(……)それは身体の壁の代用品になったのである。


われわれは誰でも、何かの危機を抱えて抱えているときに、暖かい風呂にすっぽりとつかると、湯がすっかり自分を取り囲み、温かい皮膚の感覚で心が落ちつき、安心を得ることを知っている。親は、子供がひどいかんしゃくを起こすと、自分の身体にしっかりと抱き締めることがよくあるが、直観的に、似たようなことをしているのである。すなわち親は、自分の身体を子供に与えて、子供が自分では統制できないでいるその外縁を強化してやっているのである。(S.フィッシャー『からだの意識』)

鷲田清一『モードの迷宮』p.71


この著書のなかで鷲田はSMファッションを題材にして、「生理そのもの」の露出、「身体の境界の侵犯」について言及しているが、このあたりの問題まで考えてみる必要があるかもしんない。と、漠然と思いはじめているのであった。

*1:『かくれた次元』p.163

*2:たとえば、西洋と日本と中東地域では空間感覚がまったく異なり、このことが公共空間にたいするスタンスの違いをも生み出している。

*3:『人と人との快適距離』p.14

「商店街」の理念を再考する@『商店街はなぜ滅びるのか』


本書の冒頭、こんな話が紹介されている。


東日本大震災で大きな被害をうけた石巻市旧北上川河口にある商店街も例外なく壊滅状態だった。震災から4ヶ月、ボランティアと地域住民の尽力によって、瓦礫はほぼ取り除かれ、街灯のLEDランプが灯るまでに復旧が進んでいた。ところが対照的だったのは、宮城県多賀城市の駅前地区。そこは郊外型大型店舗が立ち並ぶショッピングモール地区であった。

震災から三ヶ月経って再開したのはヤマダ電機などわずかであり、イオンの周辺には泥だらけのショッピングカートが放置されたままだった。

『商店街はなぜ滅びるのか』p.8


この対照的な光景を生み出した要因は、ボランティアの手が入った否かではないか、と著者は推察する。ショッピングモールと商店街──たしかに、どちらにボランティアが集まるかは容易に想像がつく。「商店街は、商業地区であるだけでなく、人々の生活への意志があふれている場所である(p.9 強調原文)」ことを示す象徴的なエピソードといえるかもしれない。


近年の商店街をめぐる言説は、経済的に非合理であり、悪しき既得権の代表で、なんといっても閉鎖的な共同体である、と見なすものがほとんどだった。たしかに一面的には当たっているかもしれない。しかし、その批判ははたして本質的であっただろうか? 商店街の意義、人々に必要とされた理由はもっと別のところにあったのではないか?
本書はこのような問いを立て、商店街の成立まで歴史的に遡り、その理念を「再発見」しようと試みる。

「商店街」の理念とはなんだったのか

著者は、商店街の成立を第一次大戦後にみる*1第一次大戦中は戦時景気に沸いた日本だったが、大戦終了後、反動で恐慌が発生し、離農者が相次いだ。これらの離農者の多くが零細小売業者として都市部で働きはじめたのだが、それによって大変な供給過多の状況が生まれる*2


そもそも当時の小売商は、物価の騰貴を招いている当事者として、消費者層と対立していた。そこへ商売経験のない人間が大量に参入してくるのだから、相当な混乱があっただろう。粗悪品が市場に出回るなどの問題もおきていたという。政府もなんとかしたいとは思いつつ、零細小売商の存在をたんに否定したんでは、彼らが極貧状況に陥り社会不安を引き起こす可能性があり、対策に頭を悩ませていた。そこで消費者は自己防衛のために協同組合を組織するようになる。また、自治体も公設市場を整備して解決をはかろうとした。


他方でちょうどその頃、百貨店が大衆化する流れが決定的になってくる。1923年におきた関東大震災のさい、一般大衆に向けた日常必需品の販売が一定の成功をおさめたことがキッカケとなったのだ。もちろん百貨店の存在は、零細の小売店にさらなる打撃を与えることになった。


こうした背景が「商店街」の理念を形成する下地を用意することになる。すなわち、都市における零細小売商増加の弊害、さらには簡単に事業に行き詰る彼らの救済のため、小売商の組織化が目指された。しかもここまでに挙げたような、当時の小売業の最新型といえる要素が貪欲に取り入れられている。それが「商店街」である。

「商店街」という理念

  1. 百貨店における近代的な消費空間と娯楽性。専門性の集約
  2. 協同組合における協同主義
  3. 公設市場における小売の公共性


商店街の形成は当初、繁華街のみが想定されていたが、徐々に生活インフラとしての「地元商店街」の重要性が認識されていく。実現にあたっては、酒・タバコなどの免許制度や、距離制限といった規制が活用された。ただし、万全に計画されたうえでの規制というよりは、太平洋戦争の総力戦に向けて生活インフラ整備が急務とされ、そのなかで強制転廃業が実施されたのだった。つまり、「地元商店街」の制度化はたしかに進められたものの、かならずしも理念に沿ったものとはいえなかった。

理念の忘却と崩壊

太平洋戦争後、日本は製造業中心の社会設計に舵を切る。その過程で戦前に構想された「商店街」の理念は社会に根づかないまま忘却されていく。最終的には、商店街の存在意義そのものが見失われた状況へと至るのは周知のとおり。著者はその理由を大きくふたつ挙げている。

商店街の崩壊の理由

  1. 商店街が恥知らずの圧力団体になったから
  2. 専門性をひとつの地域に集約するという理念が見失われたから


戦後の高度成長期、小売業の領域ではスーパーマーケットの台頭がはじまる。その筆頭が、「価格破壊」「バリュー主義」というフレーズを掲げたダイエーの創業者 中内功である。その当時は製造業が商品価格の決定権を持っていて、彼はそのことにブチキレていた。消費者に近い小売業者が価格決定権を持つべきだ、生産者優位の社会をつくりなおす!、と。パナソニック松下幸之助をはじめ、製造業側は猛反発するわけだけど、消費者はもちろんスーパーマーケットの論理を支持した*3。さらに中内はそれだけでは飽き足らず、商店街も規制に守られた既得権益者だとして攻撃を開始する。


たしかに商店街は規制に守られていた。中内の主張するように、消費者は「よい商品をできるだけ安く」買いたい。それは正しい。しかし一方では、商店街のメンバーである零細小売商たちはライバルだ。しかも自分の生活がかかっている。1960-70年代にかけてのスーパーの大量出店期には、商店街による反対運動が各地でおこった。また、当時の都市計画においても、スーパーマーケットと零細小売商の共存が求められていた。それが制度として結実したのが、1973年の「大規模小売店舗法(大店法)」、大規模店舗の出店を規制する法律である。


大店法の成立には、零細小売商の生活を守るという一定の正当性があった。とはいうものの、その内容はかなり商店街(中小小売店)側に有利な内容だった。そのうえ、調子に乗った商店街・零細小売商の連中は大店法のさらなる規制強化を求め、なんとこれが実現してしまう。そこでは完全に消費者不在だった。こうして零細小売業者が規制によって守られる根拠が理解されなくなってしまった。オイルショック後、日本と欧米諸国のあいだの貿易摩擦が深刻化し、アメリカから規制緩和を要請されることも重なって、地方経済や商店街崩壊のフェーズへと移行していく。

戦後の安定を支えた両翼

ところで、零細小売商は当時の自民党にとって重要な票田だったのだけど、零細小売商を支持したのは政局的な理由だけでもない。というのも、太平洋戦争の破局は、第一次大戦後の雇用不安が大きな要因となったのであり、完全雇用を維持する重要性を為政者たちは強く意識していたからだ。零細小売商が生活できなくなるような事態は避けなければならなかった。


戦後日本の安定というと、「日本型の終身雇用と専業主婦」モデルがその主要因とされる。でもじつはその安定を裏側で支えていたのは、零細小売商を含む自営業の安定であった、という点も著者が主張するもうひとつのポイントである(=「両翼の安定」)。つまり、現在の雇用不安は、正規社員になれない非正規社員の増加ばかりが焦点化されるけれども、自営業の環境もまた不安定なものになっているという問題でもある。だからこそ雇用以外の選択肢が取れなくなり、生じている現象なのである。


ちなみに、オイルショック(1973年)前のサラリーマンて「社会的弱者」という位置づけだったのよね。「クロヨン問題」(徴税差別)とかもあって。時代状況は変わるもので……。

コンビニによる内部崩壊

さて、大店法への対応として大手小売資本は戦略を大きく変えてくる。コンビニのフランチャイズ展開へ乗り出すのである。


商店街に所属する各小売店主は、それぞれに跡継ぎ問題を抱えていた。そこで商店街をささえつづけることよりも、家族の都合を優先し、コンビニ経営への参入を決める人が続出した。いうまでもなくコンビニは、「商店街」という理念にあった専門店同士の連帯無視して成り立つ業態である。つまりこれは「商店街」の内部崩壊を意味した。また大手小売資本にとっては、「抵抗勢力」であった零細小売商を自陣に引き込むという最大の目的の達成でもあった。「大規模小売資本は、「価格破壊」によって零細小売商を駆逐するという戦略から、零細小売商そのものをスーパーマーケットの論理に染め上げるという戦略へ(p.180)」。

商店街の担い手は「近代家族」であったため、事業の継続性という点で大きな限界があった。(……)実体としての近代家族が衰退しているなかで、商店街だけが生き残るわけがない。

同書 p.30


著者は本書の序盤でこのように述べていた。その内実とは以上のようなものである。

新しい「商店街」への展望

著者は一貫して、「商店街」という理念は評価できるが、それを担う主体に問題があった、という立場に立っている。むしろ、理念そのものへの評価はかなり高いといって良い。「その理念は、たんに力をもたない零細小売商を行政が保護するというに留まらない内容をもっていた」、と。

「商店街」という理念には、個々の小売業者を専門店化し、それを地域ごとに束ねることで、高い消費空間を提供しようという明確な目的があった。また、その空間に娯楽性を付与することで、コミュニティの人々がそこに気軽に集まりうる空間に仕立てようとする意図もあった。それは商店街という空間をとおして、新しい公共性の基礎をつくりあげる試みだった。

同書 p.92


ここで冒頭の被災地の話が思い出されるだろう。商店街は、商業地区であるにとどまらず、人々がそこに集う、新たな公共性の基礎となりうる場所なのだ。経済合理性ではたしかにスーパーマーケットのような巨大資本に太刀打ちできないが、そもそもする必要がないということを認識しなければならない。そこで勝負するという発想、対立軸を設定しようとすることじたいが間違っている。両者は互いに補い合うべき関係にあるのだから。


では、その理念をいかすためにどのような方法があるだろうか。結論部で著者は、武川正吾福祉国家「規制国家」と「給付国家」の二つの側面から捉えた提言を引用し、規制の必要性を強調する。近年では「規制=悪」という風潮がとにかく強いが、そうではなくて、のぞましい規制と悪い規制があるのだと。「既得権者の延命につながらない規制、地域社会の自律につながる規制が何であるかを、考察すること(p.205)」が重要である。


なお、具体的な方法論についてはわずかに触れているだけだが、

  • 距離制限に関しては国レベルで普遍的に設定
  • 免許交付などの権限は地方自治体レベルに委譲
  • 地域の協同組合や社会的企業に営業権を与える仕組み
  • 地域社会が土地を管理する仕組み
  • 意欲ある若者に土地を貸し出すとともに、金融面でもバックアップするという仕組み


といったことが挙げられている。すでにこうした取り組みをしている商店街もあるようなので、いずれ調べてみたいところ。

「商店街」という理念は、それぞれの店が専門店をめざすことで、共存共栄を図るものだった。社会学者の泰斗であるエミール・デュルケムは、『社会分業論』のなかで、社会分業が生じた理由を、「生存競争の平和的解決」と述べている。一部の商業者だけが勝利しても、地域全体の幸福につながらないことは明白である。くりかえすが、商店街の存在理由は「生存競争の平和的解決」にあることをあらためてかみしめたい。

同書 p.210

*1:「日本の商店街は、平安京までだどることができる伝統的な存在」とする主張が巷には存在するが、本書はその「起源」説に懐疑的である。なぜなら、中小の商店が集えば商店街になる、というわけではないからだ。いってみれば定義の問題だけれど、「商店の連なりだけには還元できないシンボル性をもった「商店街」(p.52)」の形成と、それが日本中にひろがっていく経緯を示すことにこそ意義があるはずだ、と。

*2:「たとえば時代は少し下るものの、1930年代初頭で、東京市内でお菓子屋が16世帯に1軒、米屋が23世帯に1軒と、小売業はとてつもなく過密な状況であった(p.56)」

*3:このあたりの事情は、佐野眞一『カリスマ—中内功とダイエーの「戦後」』が詳しい。

「子どもを産まない」という選択と痛み


Puppy 1.25.09 / waimeastyle


「毎月こんな痛い思いしてるのに、子ども産まなかったら無意味だ」


先日、パートナーである彼女が思わず口にした言葉だ。


うちは、見た目上、シスヘテのカップ*1なのだけど、ふたりとも30歳を迎えて、「子どもを作るか否か」問題がしぜんと意識されるようになってきた。といっても、いまはまだ、なんとなくである。


子どもが産まれた友人・知人が周囲に何組か出てきたこともあって、子どもの居る生活の豊かさを徐々に想像できるようになった。一方で、育児の大変さを中心とした不安な気持ちもやっぱり大きい。いまのぼくたちふたりは、低収入ながら比較的好きな仕事をそれぞれ選択できているが、あくまでもふたりだけの生活が前提になっている。子どもを迎える*2には正直かなり心許なく、当然、はたらき方も含めたライフスタイル全体を考えていかないといけないが、その準備もこれといってしてはいない。現在のパートナーの存在は前提にしたうえで、「子どもの居る生活もきっと楽しいだろうなあ」となんとなく確信はするのだけれど、積極的に踏み切るまでの要因がいまのところない。


ふたりとも「一生のうちには、子どもを産み・育てる経験をしてみたい」という気持ちは一致している。でもそれが、「いますぐか?」と言われれば躊躇してしまう。反対に、「子どもは作らず、ふたりだけで過ごす人生もそれはそれできっと楽しい」とも語り合う。とはいえ、「子どもを産む機会をみすみす逃した」という後悔がいずれやってくるのではないか、という疑念を振り払うことはおそらく不可能だ。いずれにせよ、適齢期的な問題があるから、知らず知らず焦りを感じてしまうのだろう*3


わが子を迎えた先駆者たちは、異口同音に「子どもが出来ると今まで見えなかった世界が見えてくる。悪くないよ」と素敵エピソードを聞かせてくれる。実際そうなんだろうなあと思う。他方で、子どもを作らずに過ごす人生の豊かさもぜったいにあるし、それは子どもを作った人には体験しえない世界だろう。むろん両者のあいだに優劣はない。──そのはずだが、どちらかといえば、子どもを迎えなかった方の世界に幾ばくかの否定的なイメージを抱いてしまうのは否めない*4



そして冒頭のひとことである。ぼくは動揺して、パートナーの腰を擦ることしかできなかった。観念的にはそれなりに近しいことを共有しているとしても、否応なく襲ってくる身体的な切実さが、ぼくにはまったく欠けていることに気付いたからだ。彼女もべつに「子どもを産むのが女の幸せ」だと思っているわけではないだろう*5。それでも、身体構造上与えられてしまった「意味」を引き受けずに、まったく無かったことのように振舞ってよいのだろうかという迷い、そのような思いがはっきりと見て取れた。
たとえ惰性的であっても「子どもを産まない」という判断は、男女を問わず、「子どもを産む」に劣らない選択であるだろう。けれども、とりわけ女性である彼女にとっての「産まない」という決断の重大さは、男性のぼくのそれと容易に同一視できるものではないのかもしれない。身体の痛みを引き受けるのは彼女であり、その痛みの意味を剥奪される苦痛もまた彼女が(直接的には)引き受けざるをえないのだ*6


「それじゃあ!」と言って子どもを産む覚悟を持てるか。というと、そうでないから悩ましい。


10年近く一緒に過ごしてきたなかで、パートナーとの関係を危うくする要因のひとつは、ぼくの「男らしさ」の欠如*7(と、それをぼくに求める彼女との関係性)だった。長い長い苦難のすえ、お互いに「男らしさ」や「女らしさ」は恋愛上のファンタジーとして楽しむもの──ようするに絶対視するものではなく、また完全に否定してしまう必要もないもの──と割り切れるようになって、ふたりの関係はずいぶん自然でラクなものになった。それでも、こういう場面を迎えるたび、結局ぼくは「男らしさ」的なるものが解決している諸問題にいちいち躓いているのではないか、という気がしてくる。


ぼくは不安に直面してしまうと、そこで身動きが取れなくなってしまう。出産・育児にかんしていえば、まずなによりパートナーが出産を経てもなお元気でいてくれるかが気掛かりだし、無事に子どもが生まれたその後の生活も、子どもに冷淡なこの社会のあり方も心配だ。不安要素を挙げ始めたらキリがないのは分かっている。けど怖い。ぼくは自動車の運転操作に恐怖を感じ、駅のホームに立つと背後にいる人の存在感が異様に大きくなり警戒する。自動車や電車の利便性とか、それじたいに楽しさがあることはむろん理解している。実際やってみると大したことじゃないのも分かっている。だとしても、不安の要素はそのこととまったく無関係に両立してしまうし、ネガティブな側面が必要以上に強調されてしまうことも少なくない。ちょうどそれと同じように怖いのだ。そういうとき、どう克服したらよいのか分からない。


「無意味だ」という彼女の痛みに寄り添いたい。それは子どもを産む決断をすることなのか、「そんなことないよ」と無意味の絶望観をいっしょに溶かしていくことなのか、いまはまだ分からない。時期さえ問われなければ、ふたりの子どもはむしろ欲しい! とは思いながら、成り行きに任せて受身でいることは不正義*8になるだろうか。そんなことを延々考えてしまう。

参考記事

「子どものこと、ちゃんと考えたほうがいいよ」

私は黙って、困った顔をして笑う。なぜ「産まない=考えていない」のだろうか。散々、考えた挙句、産んでいないのだ。


このぐるぐるまわる子産みをめぐる思考の輪から、いったいいつになったら逃れられるんだろうか。そして、こんな使い古された一言に、動揺せずにいられる方法を知りたい。

「子どものこと、ちゃんと考えたほうがいいよ」という暴力 - キリンが逆立ちしたピアス

産みたい/産みたくないという気持ちは二値的なものではないし、単線的なものでもありません。


他方で、産む/産まないの行為は二値的なものです。(……)どこかで、親になることを自己決定して、親になるのです。気持ちの上では複雑な思いも、行為として現れるときには産む/産まないというどちらかでしかありません。

産むことと産まないことの間 - キリンが逆立ちしたピアス

結婚しても子どもをもたない人生を選択したことを後悔はしていない。けれども正直に告白すると、夫や夫の両親に対して「わがまま通してごめんね」という気持ちを今でも私はもっている。

「そんなこと思う必要全然ないよ。あなたの人生なんだから」と友人は言った。その通りだとは思っているが、「ごめんね」という感情は、小さいけれどもいつまでも消えない染みのように残っている。

そして、そういう自分に時々軽くうんざりする。

「結婚+子ども」という「幸福」のセット通念 - Ohnoblog 2


引用したお二方のエントリーを読んだ当初は、社会通念との葛藤という側面しか見ていなかった。それでも抑圧として機能してしまう規範への告発は十分に読み取れたし、あるいはぼく自身、両親にたいする心情など近い部分もあって共感もした。


けれど上述したような身体的差異を考慮してみたとき、ぼくの共感や想像は十分でなかったように思われた。日常の延長線上に「子どもを産まない」がある男性とは異なって、同じく延長線上にあるとはいえ、定期的に「子どもを産む」機能としての身体を自覚させられる女性にとって、「子どもを産まない」というのは思いのほか大きな決断なのではないか、と。たとえばぼくの身体が女性のものに変わるとしたら、同じ選択をするにせよ自罰感情は飛躍的に大きくなるような気がする。不条理な気分さえするかもしれない*9。逆にいうと、男性側からの語りにおいては、身体的な痛みにたいする想像力が欠如している場合がほとんどではないかと。そんなことにも気付かされた。

*1:ストレート同士の異性愛、いわゆる「ふつう」のカップルということ。

*2:ここでは出産経験のほか、養子を迎える場合も視野に入れている。もちろん両者の「意味」は異なるけれど、育児経験はかならずしも出産経験の帰結ではないと思うので。どちらかが欠けてもダメなのか? はぼく自身まだよく分からない。

*3:「考えすぎ」「何らかの勢いが必要だ」とか言う人は多いのだけれど、そんな理屈で自分を納得させられる人間だったらこんな文章は書いていないだろう。事後的にみれば「勢い」でしかないとしても、少なくともぼくにとっては、事前に「勢い」のままでは難しい。

*4:「子どもを迎えた方にポジティブなイメージ」でない、機会損失的に捉えてしまっている点がポイントのように思う。なお、これはあくまでも自分自身の選択にたいするイメージであって、出産や子どもを迎えることを選ばなかったカップル一般を語るものにあらず。念のため。

*5:ただ完全に捨て切っているわけではないかもしれないし、その必要もないと思っているけれど。

*6:たとえば、ピルを飲むことで問題の半分は解決できるのかもしれない。とはいえ、残りの半分がそれで解消できるとは思えない。

*7:その一例が以下の記事:立ちションできない男の子──男子トイレという恐怖空間

*8:自分でこの言葉を選びながら、「どういう意味で?」とも思う。

*9:たとえば、『新世紀エヴァンゲリオン』のアスカの自己嫌悪や、『西荻夫婦』のミーちゃんの「うしろめたさ」もこの視点に立って初めて共感できるのだった。

悲しみの継承。その方法論としての観光@『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』


本書のタイトルにある「ダークツーリズム」とは何でしょうか。観光学者の井出明氏は、この新しい観光形態の意義について次のように説明しています。

ダークツーリズムとは、戦争や災害といった人類の負の足跡をたどりつつ、死者に悼みを捧げるとともに、地域の悲しみを共有しようとする観光の新しい考え方である。この新しい観光の概念は、学問的には一九九〇年代から研究が始まり、初期の頃は第二次世界大戦に関連した地域が多く取りあげられてきたが、近年、ニューヨークのグラウンド・ゼロなどにも研究の幅が広がりつつある。日本では沖縄の戦跡や広島の原爆ドームへの修学旅行など、学習観光の一環として馴染みの深い旅行形態であろう。

ただ、ダークツーリズムの根源的な意義は、悲しみの継承にあるため、学習そのものが目的ではないことにも注意しておきたい。訪問地に存在する悲しみを知ることで、学びは必然的に達せられることになる。したがって、ダークツーリストを志すとしても、はじめから何か学ばなければならないという気負いを持って旅立つ必要はなく、自分の心のひだに触れた何らかの事件や事象があれば、「その場を訪れたい」という素直な気持ちにしたがってよい。

『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』p.53


広島の原爆ドーム見学が好例ですが、新しい観光とはいっても、じつは案外身近なものとしてぼくたちはすでに体験してきているようです。「人類の歴史は、教科書に名前が載るような偉人や英雄だけでできているわけではなく、虐げられた人々もまた歴史をつくってきたこと(p.53)」を体験、体感できるような機会。それがダークツーリズムなのだと。


井出氏の記事ではまた、国内外のダークツーリズムのスポットがいくつか紹介されています。なかには比較的身近に感じられる場所や事件もあったりしてハッとしました。

津波災害
バンダアチェインドネシア
自然災害
淡路市島原市洞爺湖町/神戸市(日本)
水俣病
水俣市(日本)
エネルギー革命の跡──旧炭鉱街
夕張市田川市大牟田市荒尾市(日本)
ハンセン病の無知と大罪
東村山市合志市(日本)
差別の構造──ユダヤ人迫害
ベルリン/ザクセンハウゼン(ドイツ)
日本の戦争の意味──富国強兵策の帰結と両義性
広島市呉市長崎市(日本)
性と人権──日本からの売春婦輸出。[http
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%86%E3%81%8D%E3%81%95%E3%82%93:title=からゆきさん]:サンダカン(マレーシア)/ゲイラン(シンガポール
在日コリアンのルーツ──赤狩り
済州島(韓国)
旧南洋町──旧ドイツ帝国の植民地、日本の委任統治
サイパンテニアン北マリアナ連邦)/コロール(パラオ共和国


津田大介氏が自身の記事で言及するように、「社会科見学」といった方が感覚的に馴染みやすいキーワードかもしれません。ただ、ぼくたちは「観光」という言葉に商業主義的でどこか軽薄な響きを連想する一方で、「社会科見学」というと無味乾燥でつまらないお勉強(=楽しむべきでないもの)というイメージを抱いてしまう。このことはおそらく、日本の資料館がドキュメンタリー性に比重をおき、感情に訴えるアプローチを抑制する傾向にある、という本書の指摘とも関係があるのでしょう。「ダークツーリズム」という概念は、その中間というか、両者の要素を持ち得る方法論──軽薄な好奇心から現地を訪れるのだが、結果的にそこで何かを学んでしまう仕掛け。そのような商業主義との結託──といえそうです。


2013年時点のぼくたちにとって、チェルノブイリや福島といった場所はじつに生々しい記憶(とイメージ)とともに存在しています。それだけに知らず知らず語ることを躊躇ってしまう感覚がある。他方で、上記に例示されたアウシュビッツや公害都市へと視線を移してみれば、その場所のイメージも、知識も、かつて学んだはずの記憶も、われながら情けなくなるほどに持ち合わせていないことに気付きます。裏を返して、そこに積極的な要素を見出すならば、先入観がないために学びや語ることへの抵抗感が薄いことにも気付くのです。そしてそのことは、10年後、20年後に福島へと向ける視線を考えるにあたって、大きなヒントになるのだろうなとも。

「見たいもの」という先入観が見えなくするもの


Ari Hatsuzawa Photography - 写真 | Facebook


ところでチェルノブイリ本を読んでいる最中、ぼくは一冊の本を思い出していました。初沢亜利氏の『隣人。 38度線の北』北朝鮮の人々の日常を撮った写真集です。チェルノブイリ本にも登場する開沼博氏との対談記事で、初沢氏は写真集を企画した経緯についてこんなことを語っています。

北朝鮮の写真集は実はこれまでに何冊も出ているんです。僕自身も調べて取り寄せるまではその存在を全く知りませんでしたが。はじめて見た時はかなり驚きましたよ。テレビや新聞とまったく同じ方向性で作られていたので。もちろん、批判的でなければ出版ができなかったのかもしれませんが、フリーランスのフォトジャーナリストが、大手メディアと100%同じ論調というのは気持ちが悪い。フリーであるからこそ、自分の感覚に忠実に伝えるべきではないでしょうか。「北朝鮮はこういう国」という前提で撮影していることがよくわかる写真集ばかりでした。 被災地に行こうが北朝鮮に行こうが、目の前に広がっているのは日常以外の何ものでもないんです。

なぜ、北朝鮮や被災地の日常を切り捨てるのか? 日本の報道から抜け落ちた彼らの素顔に迫る 【写真家・初沢亜利×社会学者・開沼博】|対談 漂白される社会|ダイヤモンド・オンライン


あるいは、写真集巻末の滞在記でも。

その後も仮想敵として継続して要請されてきた「イメージとしての北朝鮮」。もはやそこには人々の当たり前の生活すら存在しないかのように、極悪非道の国家像が今や全日本人の頭の中にこびり付いてしまった。

この写真集こそが北朝鮮の真実である、というつもりは毛頭ない。真実とはそれ自体多面的なものであり、どこに眼差しを向けようとも、それらは無数の真実の一部でしか有り得ない。

『隣人。 38度線の北』pp.166-167


ここで語られている問題意識は、東浩紀氏が繰り返し強調する主張とも重なるように思います。すなわち、ある特定のパースペクティヴからみた世界像──チェルノブイリ原発事故の放射能被害と、そこで暮らす人々の悲惨な姿──ばかりが語られてしまうという問題です。放射能被害はけっして軽視できるものではないし、「悲惨」という認識はまったく間違っていません。けれども、それと同じくらい重要な別の側面もまた存在する(それも複数)ということを、ぼくたちはどうしても見逃しがちです。「チェルノブイリは今も動いており、そこに他者が常に関わり続けている現実がある。『自分の中で事前に用意してきた、変にいじられていないチェルノブイリ像』を壊されるのは当然のことだ。そして、その体験は恐らくそこに来た他者が、それ以後もチェルノブイリを考え続ける大きなきっかけとなるはずだ。(p.138 開沼)」


「東浩紀チェルノブイリ本について語る(ニコ生)」では本には掲載されてない話題も出ており、併せて聞くのも面白いです。たとえば、役人の葛藤の話。道端で放射線量を測定していると、それを止めるでもなく、しかし警戒した様子でウクライナ政府の役人がすぐ傍まで来て眺めているのだとか。そしてその光景が福島でもまったく「再現」されている……という話。──さらにこれは、初沢氏が語る北朝鮮での案内人の様子ともどことなく似ているのです。もちろん、北朝鮮チェルノブイリの話はそれぞれまったく無関係なのですが、語りが限定されている場所でおこる奇妙な一致に、偶然以上のなにかを感じてしまいます。


チェルノブイリ本に話を戻せば、単純に知識不足を補う情報も多数あり勉強になりました。電力不足のために、チェルノブイリ原発は事故のわずか半年後に再稼動*1されていたことや、その後、'00年には発電機能は停止したものの、未だ現役の送電基地・ハブとして重要な役割を担っていること。さらには、「耐用年数の問題もあるため、将来的には最大七ヶ所で原発の新設が予定されている(p.72)」なんて状況とはまったく知らず、衝撃を受けました。エネルギー問題の難しさを思い知らされます……。


今後、原発をめぐる問題について考えるための重要な資料のひとつとなるのはもちろん、もっと大きく、人類史上の「悲劇」というテーマについても新たな切り口を与えてくれる一冊だと思います。

*1:事故を起こしたのは四号機。再稼動されたのは一号機。

國分功一郎氏「たべもののポリティクス」講演メモ──食をめぐる各種論点と読書案内


知の航海2012 ぐるぐるエネルゴロジー たべもののポリティックス - 生活工房


三ヶ月ほど前になりますが、掲題の講演に参加してきました。たいへん有意義な内容で、聴講中たくさんメモを取りました。今後、食について考えるうえで大きな指針になりそうです。(國分さん、ありがとうございました!)

日時:2013年03月17日(日)
場所:世田谷文化生活情報センター 生活工房


というわけで、当日配布されたレジュメをベースに、印象に残った話題を整理しておきたいと思います。以下、書籍からの引用も適宜補足しつつ。

消費/浪費

『暇と退屈の倫理学』で提示された対概念。ジャン・ボードリヤールが論じたのが最初だが、誰も注目してこなかった(『消費社会の神話と構造』)。ボードリヤールによれば、人類はずっと「浪費=贅沢」してきた。ところが、つい最近になって人類は全くちがうことをはじめたという。それが「消費」である。

浪費
必要を超えて物を受け取ること、吸収すること。限度に達することで満足をもたらす。贅沢の条件。
消費
物に付与された記号や観念や意味が対象である「観念論的な行為」。限界がなく、けっして満足をもたらさない。

『暇と退屈の倫理学』第四章


消費行動においては、人はものを受け取っていない。情報や記号を受け取るにすぎないので、満足することがない。その考察を出発点として食について論じるとき、次のことを考えなくてはならない。

  • ものを受け取るとは何か?
  • うまいとはなにか?

哲学における食

哲学の領域において、食というテーマが分析の対象となること自体が稀である*1。そんな中、食の問題を扱った、あるいは参照できそうな思想家たち。

シャルル・フーリエ

フーリエにとって、食は文明世界の堕落そのものに直結する問題であった。主に文明人の食べ過ぎ、また、文明社会で好まれている食が身体に悪影響を与えているという事実を取り上げている。中国には「医食同源」という広く根付いた考え方があるが、西洋知識人として食の問題について論じた数少ない人物のひとり。

ロラン・バルト

バルトは、フーリエ論を食事の話から始め、文明社会における食の位置を論じている。社会は食に対する一人一人の偏愛の格子を保障すべきである。また、食が人間精神に大きな影響を与えるという思想。

人間関係や住居環境に比べ、食が精神に与える影響はあまり研究されていないのではないか、と問題提起を行った。

カール・シュミット

あらゆる領域において、究極的な区別(Ex.美学=「美/醜」、道徳=「善/悪」、etc…)が存在するという。食における究極的区別とは、言うまでもなく、「うまい/まずい」*2。では、うまいとは何なのか?

ファスト・フード/スロー・フードについて

ポール・ロバーツ

『食の終焉』は、現代社会における食の問題について論じるうえで基本書ともいえる一冊。スローフードについての言及もあり。宮台真司氏も指摘するように、スローフードの思想が社会運動に大きな影響力をもつようになっている*3

食における「情報量」という観点

國分氏のブログ記事より(一部改行位置を改変。強調は引用者)。

俺の考えではファスト・フードは、「速い」のではなくて、これも「情報がすくない」。つまりファスト・フードは正確には、インフォ・プア・フードと呼ぶべきです。たとえば、牛脂の味しかしない。歯ごたえになんの変化もない。処理すべき情報が少ないメシだから、すぐに食べられるわけです。
要するに、ファストであることは、そのメシの存在様態の結果である。ファストであることを結果として生み出す原因は、インフォ・プアという契機にこそにある。(……)食べることがスローになってしまうのも、そのメシの存在様態の結果。スローであることを結果として生み出す原因は、インフォ・リッチにこそある。だいたい、要素の少ない食事、情報量の少ない食事を、スローに食べてたって仕方ない。これからは、ファスト・フードとスロー・フードの対立を脱構築するインフォリッチフードの概念が重要でしょう。

ブランショ、スピード、情報量、あと少しメシの話|Philosophy Sells...But Who's Buying?

スピノザの定義論

定義は事物の内的な本質を明らかにしなければならないが、そのためには

  1. その事物の本質のかわりに特性を以て定義することがないようにしなければならない。
  2. 定義は原因をふくまなければならない。


事物はその原因によって定義しなければならず、原因から生じる結果によって定義してはならない。これは重要な論点である。なぜなら、誤った定義をもとにした「スロー」を連呼しても、問題の本質はなにも見えてこない──情報量が少ないものをゆっくり食べても何の意味もない──からだ。情報量が多い食事を提供するような社会にならなければならない。それがわれわれの目指すべき方向性である。
→※では、いわゆる「ファストフードの快楽」はどのように解釈すべきなのか? この点については、後日感想に代えて考察したいと思います。

情報量が「質」を決定する

ライプニッツは、波の音を例にあげて以下のようなことを語っている。それはひとつひとつ細かい水の音の集積であるのだが、人間の処理能力ではそれを厳密に細部まで知覚することができず、「波の音」として認識されている、と。この波の音=「質」に相当するようなイメージ。


あるいは、ヘーゲルもまた「量の変化は、質の変化に転化する」ということを言っている。人間の処理能力では「質」としか表現できないが、その実態は情報量のちがいに還元できるのではないか。文学作品や芸術作品についても、その「質」は情報量の差異によって決定されるのではないか*4。情報量という考え方は、質を数値化(デジタルな表現)する可能性を開く。


なお、情報とは一応は以下のように定義できる。

結論にかえて

社会構造の変化
フォーディズム
労働時間外も労働者として管理される社会の到来(=工場の内と外の区別がなくなった)。単一モデルの生産性向上による、高品質・低価格というビジネスモデル。
ポストフォーディズム
いかに高品質の製品であろうと同じ型である限りは売れない。モデルチェンジを繰り返さなければ売れない社会へ。設備投資にお金を掛けられず、労働力の予測も難しい。非正規雇用は、現在の消費=生産スタイルがこれを要請してしまっている。(『暇倫』第三章の論点)


現代のポストフォーディズム体制は生産者の問題であると同時に、「(モデル)チェンジした」という情報そのものを買う消費者の問題でもある。そのような消費行動を繰り返すわれわれは、満たされることのない退屈しのぎを延々と続けることになる(社会変革をおこすためには、そこまで考えなければならない)。贅沢こそが社会を変えるのである。


バルトが引いたフーリエの言葉。

「我々が間違っているのは、そう信じられたように、あまりに欲望することではなく、あまりにわずかしか欲望しないことだ……」

『サド、フーリエ、ロヨラ』p.5

今後の課題とその他の論点

うつ病と食

うつ病患者の食事が酷い(菓子パン中心など)という報告*5

うつ病=セロトニン不足」「統合失調症=ドーパミン過剰」
このような単純な図式は真実であろうか。本書の結論から言えば,「脳科学」「神経科学」だけで精神疾患を捉えることは,事実上不可能である。脳はあまりにも複雑であり,精神疾患要素還元主義で説明し尽くすことはできない。
それでは,精神疾患脳科学で捉えることが無意味かというと,そんなことはない。近年の脳科学神経科学には長足の進歩があり,精神疾患についてもずいぶんと「部分的」に明らかになっている。「部分的」ではあっても,精神疾患の本質を捉えるヒントや新しい診断法や治療法に結びつく知見が次々に見つかっている。

『精神疾患の脳科学講義』Amazonの内容紹介より


ここでもやはり、情報量(=身体にたいする刺激因子)が極端に少ない食習慣がうつ(をはじめとした各種疾患)の一因となっているのではないか? 栄養素の問題はむろん軽視できないが、要素還元主義的に捉える限り、より本質的、あるいは実践的な原因まで遡れない。


スピノザは主著『エチカ』のなかで「人間をより多くのしかたで刺激を受けるようにするものは、よいものである」ということを言っている。

第四部 定理三八
人間の身体が多くの仕方で刺激されるようにするもの、あるいは身体が外部の物体にまでさまざまな仕方で刺激を及ぼすようにさせるもの、それは人間にとって有益である。

『エティカ』p.353


たとえば、「味わう」とは多様な刺激を受け入れることであり、また刺激に慣れていくことで受容の範囲や許容量を広げ、より豊かに「味わう」能力が身についてくる。そのためには適切な訓練が必要である。

腹八分、ダイエット、絶食

野生動物は毎日エサにありつけるわけではないため、毎日エサを与えるとかえって弱ってしまう。そうした理由から、旭山動物園ハヤブサには、定期的にエサを与えない時期を設けるとのこと。おそらくこれは人間にとっても応用できる考え方。ラマダンなどの断食行事の行為とは、文化の力で食事を遠ざける知恵ではないか。

どういうものを、どれくらい食べるかという問題。食との適当な緊張関係をもっておく必要性。また、「痩せている」とは、基本的に悪いニュアンスを含む形容詞であり、美しさを形容するための新しい言葉が必要。

栄養失調としての肥満

「たとえばルイジアナ州では、住民の二人に一人がフードスタンプ受給者なんです」

私の頭に、ジャンクフードざんまいだった公立小学校のランチ・メニューが浮かんだ。
貧困層の受給者たちの多くは栄養に関する知識も持ち合わせておらず、とにかく生きのびるためにカロリーの高いものをフードスタンプを使って買えるだけ買う。貧困層のための無料給食プログラムに最も高い頻度で登場する「マカロニ&チーズ」(1ドル50セント)を始め、お湯をかけると一分で白米ができる「ミニッツ・ライス」(99セント)や、味の濃いスナック菓子(一袋99セント)、二か月たってもカビの生えない食パン(一斤1ドル30セント)などが受給者たちの買う代表的な食材だ。
これらのインスタント食品には人口甘味料や防腐剤がたっぷりと使われており、栄養価はほとんどない。
その結果、貧困地域を中心に、過度に栄養が不足した肥満児、肥満成人が増えていく。健康状態の悪化は、必要以上の医療費急騰や学力低下につながり、さらに貧困が進むという悪循環を生みだしていく。

『ルポ 貧困大国アメリカ』pp.25-26


貧乏人こそ、調理器具もほとんど必要ない(「受給者のほとんどは、家に調理器具がなかったり、キッチンそのものがないケースも少なくない。pp.25-26」)、カロリーが高いジャンクフードを食べざるをえない。政府の新自由主義政策による予算カットの影響で、学校側は安価なジャンクフードに頼ることを避けられない。学校給食という巨大マーケットを狙うファストフード・チェーンも少なくないという。

油(オイル)について

現代の都市社会において、油は敵視されている。日本においては、「油=食べものをつくるための媒介物」というイメージが強いが、たとえばチュニジアでは「油=食品のひとつ(調味料)」という捉え方。またドイツにおけるバターは、パンに味を付加するといった日本的な位置づけとは異なり、バターそのものを食べる感覚。ドイツ・フランスへ行ったらバターを食え(美味い)。


油とは非常に繊細な生産技術に支えられており、高度な文明社会にのみ許された食品である。


レヴィ=ストロースは、文化人類学的に調理技術を分析しているが、煮たものは家庭のもので客人には出さない、文明的に洗練されていない、と論じている(下図の「料理の三角形」)。かなり突っ込みどころが多いのだが、もっとも気に食わないのは、「揚げる」が「煮る」に分類されていること。先述のとおり、油は非常に貴重な食品なのであって、それを多量に使用する高度に洗練された調理法が「揚げる」である。分析が不十分、あるいは何らかの偏見があるのではないか?

http://www1.yasuda-u.ac.jp/prof/miyagisi/Image51.gifhttp://www1.yasuda-u.ac.jp/prof/miyagisi/Image50.gif


※なお、上図を参照した宮岸哲也氏の以下のページにおいて、「料理の三角形」を発展させた「料理の四面体」(玉村豊男:1980)、さらには調理法の体系に「コンテクスト」という要素を取り入れた独自のモデル「食生活の構造図」が紹介されています。
食生活の構造に関する研究−比較文化的研究の枠組みとして−宮岸哲也

ケチャップの侵略

アメリカ的な味覚。グローバリゼーションの影響で、世界のいたる場所で「ケチャップの侵略」ともいえる状況がおきている。と、中沢新一氏がどこかで言っていた。

野性味や酸味

肉は本来生臭いもの、また果物の酸味も日本と海外とではまったく異なる。両者ともに品種改良によって抑えられる傾向。

モノ・カルチャーの問題

最近人気のチリワインだが、70年代の軍事政権において、フリードマンの影響下、新自由主義経済政策(の実験)によって生み出された産業である。飲みながら複雑な気持ちになる。

原釜漁港(福島県相馬市)の問題

原発事故の影響。放射線量の測定では可食部のみを使用するため、毎回大量の魚を三枚におろすという非常に手間の掛かる作業を強いられている。また農産物にせよ、何重もの検査体制を取っている。放射線量の検出にかんしていえば、「福島の農産品がもっとも安全だ」というのが現場の人たちの本音。國分氏自身、その現場に立ち会って感銘を受けた、と。しかし一方で、その事実や実感をもとに「食べられますよ」と言った瞬間に嘘っぽくなってしまう現実がある。そこに言葉の限界を感じる。


これまでと同じ場所に住み続けること、特定の食品を食べること……。あらゆる状況において決断を迫られる状況になってしまっている。楽観的な気持ちと、悲観的な気持ちが共存している。


質疑応答

デジタルとはどういうことか

もう少し補足がほしい。(参加者)


客観的数値で表現できるということ。ロハススローフードもまた、「自然がいいよね」といった曖昧で情緒的なイメージ先行で語られ、それこそ消費社会的なイメージによって動いている。消費社会礼賛の立場と対話ができない。自然食の新しい語り方が必要とされている。


森田真生氏の「自然が計算を行っている」という研究に注目している。「計算とはなにか」が定義されたのは1930年代頃と、つい最近のことだそう。もっとも広い意味で計算というものを考えていくと、「論理=計算」という図式が成り立つ。拡張された計算概念をもとに世界を見ると、あらゆる場所で計算が行われていることが見えてくる。このことを記述しようという試み。


将来的には、数理的なアプローチで自然が記述できるかもしれない。実感の科学的記述(エビデンス)可能性。

#259 数学で心と身体を整える - 森田 真生さん(東京大学理学部数学科) | mammo.tv

料理の三角形について

揚げ物(deep-fried)は、西洋では多めの油でもってフライパンで調理する手法のこと。日本の天ぷらのような揚げ物とは、そもそも認識が異なるのではないか。また、電子レンジはいったいどこに分類されるのか?
栄養学では「湿熱調理/乾熱調理」という、水分をとばす観点からの分類がある。揚げ物は乾熱調理、電子レンズは湿熱調理だ。(以上、会場の参加者より)


その分類の方が汎用的かもしれない。レヴィ=ストロースに教えてあげましょう!

訓練の必要性

マクドナルドを本気で美味いと思う感覚もある。情報処理能力に見合ったものを美味いと感じるのでは?(参加者)


楽しむためには訓練が必要だ。どんな快楽でも訓練を前提としている。

排泄の視点の必要性

一般論として、食について考えるとき、摂取する視点ばかりが論じられ、「排泄」という契機が欠落しているのではないか?
東洋医学において、「新陳代謝=消化+排泄」の図式を主張している人物がいる。消化にエネルギーを使い過ぎてしまった場合、排泄がおろそかになり、心身疾患の直接の原因となる、という考え方。ラマダンもそのような観点から説明することができそう。排泄の観点を重視するとき、食べない、という状態は必ずしも我慢ではなくなる。「食べない快感」というのもありうる。(以上、筆者より)


巨大化した鮭(あるいは牛?)が発見されて、調べてみたら抗生物質による消化酵素が死滅が原因だったという話がある。つまり、エネルギーが消化にほとんど使われず、筋肉等の発育に回されたという研究報告(ただし抗生物質は良い菌も殺すので副作用はあり)。そのことから考えても、動物が消化にエネルギーを使っていることは間違いない。


根本的に、人体にとって「食べもの=異物」。チャップリン『黄金狂時代』には、靴を食べたり、魚の骨に見立てた釘を食べてみせるシーンが出てくる。また、キャベツは光合成ができなくなった奇形品種。


排泄については考えたことがなかったが、重要な要素だと思う。

その他、興味深かったキーワード
  • 野糞ばっかりしてる研究者がいる。以前、当会主催でワークショップをやった(排泄に関連して主催者より)。ノグソフィア
  • 安富歩氏は、人糞の無害化の弊害や、火葬による生態秩序破壊の問題、将来的な堆肥の不足を主張している。
  • 有機農法だけで今後やっていけるかは疑問。農業もまた技術(テクネー)であり、自然破壊。「工業の開始したときより、農業の開始したときの方が自然破壊の度合いが高かった」という説すらある。ただ、その程度の破壊は自然(フュシス)が許容してくれたから農業をやって来ることができた。技術と自然のバランスを論じていくことが大事。
  • 自然との非敵対的矛盾(by中沢新一):「いわばヘーゲル弁証法的な関係ですね。何でも調和させてしまうやり方は、お互いが持っている矛盾を対話しながら練り上げていくのとは違って、闘ったり議論したりするのは嫌だからとりあえず避けて(調和させて)しまうというだけで、決して前には進みません。むしろ抑圧的になってしまいます。」(『哲学の自然』p.216)

感想

長くなるので、一旦ここまで。感想は後日、別エントリーの形でまとめたいと思います。

*1:同様に十分に論じられていないテーマとして、國分氏は「性」の問題を挙げていました。

*2:「半分くらい冗談です」と國分氏はコメントしていましたが。

*3:「どこでボタンをかけ違えたのか」 宮台真司氏講演 ~現場からの医療改革推進協議会より|ロハス・メディカル

*4:念のために付言しておけば、ここでは非常に広い意味で「質」や「情報量」という概念を用いていることに注意。

*5:「最新精神栄養学 うつを食事で改善する!?」、2012年9月12日放送 NHK『あさイチ』