「痛み」を見えなくする力、乗り越える実践@『いのちの女たちへ』

誰かの「痛み」に寄り添うとはどういうことでしょうか。田中美津氏にならって言うなら、まずなにより「己れの闇」を直視し、「痛みを感知」することから始まる。そして自身の惨めさを出発点とした者同士が「出会う」こと──そんなところになるでしょう。それはけっして前向きな心境になれるよう促し、励ます行為を意味するのではありません。


他人の悩みについて話を聞くのは、多くのばあい、苦痛をともないます。ときには、その相手にたいして腹立たしい気分にさえなることもある。それには色々な理由が考えられるけれど、ぼく自身の経験上もっとも大きな理由のひとつは、彼女/彼のその「痛み」にどう接していいか分からず、不安になるからです。目の前にいるその相手の暗い表情をそれ以上見ているのがしんどくて、つい言ってしまう──「でも、もう過去のことだから」「現実はこうなのだから、仕方がない」「だから前向きに」……。


この本のなかで田中氏は「個人史」として、8歳の頃に受けた性的虐待に言及しています*1。ぼくの周囲を振り返るだけでも、「いたずら」レベルまで含めれば、思春期までの時期に性犯罪被害に合っている女性は相当にたくさんいて、彼女たちのその後の人生に多大な影響を与えていることが少なくないようです(ここでは言及しませんが、もちろん男性にも性的虐待のケースはたくさんあります)。そのダメージは、たんに男性不振という分かりやすい形で現れるとは限りません。というのも、彼女たちの多くは自分の身に起こったアクシデントの深刻さを、正確に把握し、伝えることができないからです。あるいは、かりに打ち明けても周囲の大人たちの適切な理解や対応を得られないことが多いからです。当然そこには家族関係のあり方も大きく影響してきます。性がタブー視されているために、他人に勘付かれぬ振舞いを躾として教えられ、彼女たちの「痛み」はまるでなかったもののように扱われる……。そうしたケースはけっして少なくありません。


さて、こうして心に負った傷はほんとうに「過去のもの」でしょうか? 負傷して以降、じくじくと患部が痛み続けることがあるように、彼女/彼たちが数年を経てもなお「痛い」と感じていても何の不思議もないはずです。その傷口は現在進行形で開いているかもしれず、その傷口の状態はろくに確かめもせずに、傷を負ったその時点だけをもって「過去のことだから」などと判断するのは軽率にすぎます*2

心の傷を癒したい、癒せなければ幸せにはなれない、と長い年月固く思い込んでいた。だがしかし、心が癒えるとは一体どういうことなんだろう。改めて考えてみると、それはわかるようでわからない。だって過去において悲しかったことはズーッと悲しい。今でも悲しい。振り返れば私はいつだって元気で、そして悲しく、悲しくってそして元気だった──。

『いのちの女たちへ―とり乱しウーマン・リブ論』 p.353


ただ残念ながら現実には、周囲の大人や社会の要請によって、彼女/彼らの「痛み」は見えないものにされています。自分の「痛み」に気付かないことに慣れると、当然他人のそれも見えなくなっていくものです。それどころか、「痛い」と訴えるひとに嫌悪感すら抱くようになってくる。「おまえだけそんな身勝手な振る舞いは許されないぞ」、と。むろん、これは性犯罪被害にかぎった話ではありません。互いの「痛み」を取り除く方向ではなく、「痛み」を強いる体制を温存するというまったく真逆のベクトルへ。この本が書かれたのは1972年ですが、日本社会のその構図じたいは現在でも根強く残っているように見えます。

階級社会とは〈誰にも出会えない体制〉のことだ。「痛み」を「痛い」と感じない人は痛くない人ではなく、己れをあくまで光の中にいると思い込みたい人なのだ。「痛み」を痛いと感じないように呪文をかけ続けている人だ。

同書 p.190

己れの生き難さを感知しえない人とは、実は、存在そのものが鈍化している人なのだ。己れ自身から欺かれてる人なのだ。そういう人々は、体制の十八番である「あのヒトよりしあわせ」の論理に安堵している人々。

同書 p.254


不幸の相対化なんて、何の意味もないとぼくは思い続けてきました。「貧しい国のあのひとたち」より恵まれていようが、自分がツライもんは現にツライのだ! 不幸を相対化することに(苦し紛れの)意味を見出すとしたら、あくまで自分の惨めさに向き合ったそのあとで前に進むために、自分を鼓舞する目的で用いられる場合に限られるでしょう。無闇な「前向きさ」によって自分の惨めさを隠蔽してしまえば、体制の抑圧を温存することに繋がるし、なによりも、いつまでたっても自分にも他人にも「出会えない」*3


では、自分の惨めさに向き合う、とは具体的にどういうことでしょうか。田中氏が紹介する以下のエピソードが参考になります。

リブを運動化して間もない頃、それまであぐらをかいていたくせに、好きな男が入ってくる気配を察して、それを正座に変えてしまったことがあった。(……)楽でかいていたあぐらを正座に変えてしまった裏には、男から、女らしいと想われたいあたしがまぎれもなくいたのだ。その時、もし、意識的にあぐらか、正座かを己れに問えば、あぐらのままでいいと答えるあたしがいたと思う。しかしそれは本音ではない。その時のあたしの本音とは、あぐらを正座に変えてしまった、そのとり乱しの中にある。

同書 p.69


一方には、男性中心主義的な価値観における被抑圧者として抵抗の声を上げる自分、そしてもう一方には、にも関わらず、ヘテロ女性として好きな男性に認められたいという体制順応的な自分。「体制の価値観に媚びたい己れと、そうはしたくない己れ」という矛盾したふたつの思いに引き裂かれる「あたし」を正面から見据えること。〈ここにいる女〉の「とり乱し」から始めること。ウーマン・リブの解放理論が、女性解放運動の文脈に留まらない普遍性をもつ所以がここにあるように思います。ウーマン・リブの思想はかならずしも社会運動を奨励する思想ではなくて、もっと身近で、いわば卑近な〈生活革命〉の勧めなのです。



ところで「痛み」に寄り添うことのもっともシンプルな実践のひとつは、その人の傷に触れて、いっしょに(あるいは本人の代わりに)泣くことなのではないか──こうして文章にしてしまうとやや狡猾に響くかもしれないけれど──、とぼくは思っています。「痛い」といえなくなっている彼女/彼は、自分の傷を見て涙を流すひとに出会って、「あ、やっぱり泣いていいことなんだ」「悔しいと感じてもおかしいことじゃないんだ」と、自分の身に起こった辛い体験と、くり返し湧き起こる感情の正当性を初めて確信できることが少なくないように思うのです。またそれは、言葉で共感を示すこととは根本的に意味合いが異なるのではないか。というのも、そのひとは感情を表出する代わりに、言葉で納得する実践をまさにひとりで続けてきたのだから。それはたしかに傷口への鮮烈な痛覚を呼び覚ます苦しいプロセスです。でもその先にしか「出会い」とか癒しはないんじゃないかなあ。

*1:1992年の「文庫版へのあとがき」にて、田中氏は、じつはそれが就学前の6歳の出来事だったと振り返っています。「十三年を経ての訂正にこそ、性的虐待がもたらす悲惨の質が表れている。嘆息と共にそれを思う。」

*2:「こんなこと誰にも言えない」「もしかしたら自分が悪かったのではないか」「全然大したことない」といった語り、あるいは「汚れた存在」という自意識、そのことを過度に茶化した「自虐ネタ」……。性犯罪被害者の多くに共通するこれらの傾向は、負ってしまった「痛み」をなんとか表出せず、感じもせずに済ませる苦心の産物と解釈することも可能なのです。

*3:と同時に、「加害者の論理」に固執して自らの被抑圧者である側面を見落としがちだった1970年代と比較して、現在の日本社会では被害者意識への偏執が充満しており、その差異には注意すべきかも。