「草食系男子」コラムサイト、はじめます


ツイッターでも告知しましたが、新しい試みとしてコラムサイトを立ち上げました。「草食系男子」当事者の視点からいろんなテーマについて語る、といった趣旨の連載モノです。


http://herbivorous30.tumblr.com/


はたしてぼくが「草食系男子」を名乗るに値するのか?

という素朴な疑問はあるのですが、同年代の男性のなかでもまあ「草食系」といわれるクラスタにそこそこ親和性はある方かなあ、とは思っています。そもそも「草食系男子」の概念じたい定義は曖昧*1で、またそこに分類される男性たちも当然その内実は多様な人間たちなわけです。なので「自分こそが草食系男子の代表だ!」といった意識は最初からないし、あくまでも、ある個人のエピソードとして読んでいただければ幸いです。


このコラムは友人のライター @mameaki さんとの共同企画でして、ぼくが日々考えている話題をもとに、彼が文章を書いてくれています。このブログでは、これまでもジェンダー関係の記事をいくつか書いてきましたが、もうすこし軽い書き味のエッセイなんかもやりたいなあと思っていたところ、力を貸してくれることになったのでした。おそらくここでの記事よりはずっとボリュームも控えめで、ぼくにとっては率直に言って「語り足りない…!w」というかんじの文章量になりそうですが、逆にいえば、ぼくには決して書けない、思い切った軽快な作品になっており、読者の間口もぐっと広がるのではないかと思っています。

今後の予定


第1回から数回分は、このブログで反響の大きかった「立ちション」ネタを再構築した内容になる予定です。


立ちションできない男の子──男子トイレという恐怖空間


上記の記事は、公衆トイレをめぐるぼく自身の苦悩を言語化する試みであったのと同時に、同じ悩みを抱える人たち──とりわけ思春期の男の子たち──へのエール的な意味合いも込めたものでした。非常に思い入れのあるエントリーなのですが、「内容がちょっと難しい」という声もちらほらあり、もっと気楽に読めるテキストも用意したいと思っていたところでした。


http://herbivorous30.tumblr.com/post/66762451493/tachishon-dekinai1


今回はその冒頭部にあたる第1回。もともとは自分自身のネタでありながら、妙に客観的に(、そして随分と子どもっぽくw)描かれる「ぼく」の姿に戸惑いつつも、よく似た他人を見るような気持ちで、ぼく自身、毎回原稿を受け取るのがとっても楽しみです。

最後に

この試みの趣旨について、ツイッターでは以下のように書いたのですが、いちおう補足をしておこうかと思います。


「男子たるもの女子に後れを〜」とか茶化して書いていますが、これはもちろん冗談です。

男性ゆえの抑圧や苦悩が当事者の視点から語られる機会が少ないこと──この状況そのものがきわめて男性的な規範のなかにあるのではないか、という問題意識をぼくは(女性学/男性学に関わる多くの人たちと同様に)強く持っています。他方、女性がみずからの立場から性について語る試みには多くの蓄積があるわけで、じゃあ女性たちの取り組みを真似るところからはじめてみよう、というのが今回の趣旨のひとつなのですね。誤解を恐れずにいえばそれは「女々しさ」の再評価であり、そうした文脈にあるのが上記のツイートでした。


ここで語ったような試みが成功するかはまだ分かりませんが、興味をもっていただけた方はどうぞご笑覧くださいませ。

*1:参考:森岡正博氏の「「草食系男子」の現象学的考察」では、女性誌によって提唱された「草食男子」と森岡氏自身の「草食系男子」との概念(あるいはニュアンス)の差異が詳しく論じられています。