'10年生まれの20歳は、新人類世代でいえば16歳
ここ2年ほどは対前年比で減少している日本人の平均寿命ですが、戦後は基本的に右肩上がりで上昇してきました。要するに「個人の人生が長くなった」わけです。この事実はあまりに基本的な常識ように思われますが、当然僕たちが自分の人生を捉える視点にも大きく影響してるだろうなーと改めて思った次第です。
平均寿命(日本) - Google Public Data Explorer
年代 | 1960 | 1970 | 1980 | 1990 | 2000 | 2010 |
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平均寿命(歳) | 67.67 | 71.95 | 76.09 | 78.84 | 81.08 | 82.93 |
対 2010年比 | 0.815 | 0.868 | 0.918 | 0.951 | 0.978 | 1 |
2010年における日本人の平均寿命は82.93歳だそうですが、これを基準として過去の平均寿命の比率をだしたのが上の表です。これを見れば分かるとおり、日本人の平均寿命はこの50年で2割近くも伸びていますよね。
このことをちょっと違った視点からみてみましょう。1960年生まれ(新人類世代)の人が20歳になった時点というのは、人生全体における約3割(20 / 67.67 = 0.296)を経過した位置であるのに対して、2010年生まれの人が20歳になった時点というのは、人生全体における約2.4割(20 / 82.93 = 0.241)を経過した位置にすぎません。別の言い方をすれば、人生全体という観点から見たときに、2010年生まれの人にとっての20歳という地点は、1960年生まれの人にとっての16.3歳相当ということです。
もちろん、一個人の人生における20年間という期間は年代を問わず〈同じ〉20年間でしょう。僕たち自身、平均寿命をつねに意識して〈いま〉を生きているわけじゃない。しかしながら、人は〈いま〉という刹那的観点からのみ人生を眺めるのでもないわけで、その意味において「同じ」ではありえないはずなのです。
たとえば極端な話、いまから数年で医療がめざましい進歩を遂げ、2020年に生まれた人の平均寿命が200歳まで伸びたとします。そのとき、20年間という期間を僕たちとまったく同じ感覚で彼らに適応するのは、やはり難しいのではないでしょうか? 20歳を迎えた時点では、たしかに彼らも、現代を生きる僕たちと似たような肉体・精神の成長を終えていると思われます。でも彼らの人生はまだ、そこからほぼ確実に100年以上残されている。社会全体の構造は当然変わらざるを得なくなり、各個人の意識のありようも大きく変わってくるほかはないでしょう。「働き盛り」の概念も現状と同じとはとても思えないし、40歳で結婚はもはや「晩婚」とはいえませんよね。
多くの場合、親と子の世代差はおよそ20〜30年あります。年齢を基準にした感覚のギャップが生まれる要因は、まずこの単純な事実にも見出せるのだろうなーと。
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科学技術や医療の発達は、結果的に成熟途上の許容期間(モラトリアム)を拡大するという側面が確実にあるのでしょうね。そしてこれは必ずしも悪いことではない(というよりどうしようもない)はずです。「何をもって成熟とするか」とか、「そもそも僕たちの社会に成熟の機会はあるのか?」という論点については、また改めて書きたいと思います。