お客様=神様の暴走は誰が止めるか問題


まったく大事とは思えない。「万引きの罪ってオッキーナ!」 / freeheelskiing_2


一部の悪質なクレーマーに悩まされる接客業の現場、という問題はツイッターでもしばしば話題になります。多くの人と同様に僕も違和感はずっと持ち続けていて、特に友人の生々しい体験(以下のまとめ参照)を聞いて以来、ほんと何とかならんもんか〜と考えてました。この難問にそう易々と打開策が浮かぶわけではないのだけど、ひとまず現時点での思いなどを。


小売業の現場から―ある万引き事件の顛末 - Togetter


この手の問題を考えるにあたって、大きな論点のひとつに「労働者の権利を経営層が軽視している」という点があると思います。企業にとって、顧客が重要な存在なのは間違いありません。できる限り、自社によいイメージだけ持っていて欲しいし、顧客の気分を害すようなことは言いたくない。これは経営層の率直な思いでしょう。それはたしかに労働者の立場からでも、「客観的にみれば」理解できることです。でも現場の労働者として関わるとき、やはりそこには直接的な利害関係が生じるわけですよ。労働者個人としての利害がね。



そりゃあ労働者だって、自分を雇ってくれている組織にマイナスになることは出来る限りしたくないものです。でも同時に、現場に立つ個人の権利は尊重されるべきですし、主張してしかるべきです。それを「経営者目線」なるものを労働者に内面化させ、権利行使の道を先回りして塞いでおくのは大問題だと思う。労働の現場でキツイ事態が「この」身に降りかかっているまさにその時に、「でもほら、客観的に考えてみろよ」ってそりゃおかしいでしょうよと。


経営者は労働者の権利を最低限守る義務があり、そのためには顧客に多少なり嫌な顔を見せることも時に必要と思います。本来、「経営」部分で解決すべき課題を、悪質なクレーマー対応や過剰に丁寧な接客という形でコストを労働者に押し付ける構造は経営の怠慢であり、搾取という他ない。このことを問題視する風潮をもっと強めていく必要性を感じています。



一方で、こうした労働者擁護の問題提起に対して、労働者の側から不快感を表明されるという構図も、僕たちの社会ではよくある光景です。要するに、労働者の権利を訴える行為を、労働者自身が嫌悪している節がある。「既得権益」を徹底的に叩きたくなる時代だから、それも分からないではありません。でもそれは端的に間違っていると思う。ただ、さらに付言すれば、ここで僕が「間違っている」というのは、「なんで権利を主張しないんだよ!」というある種の「強い個人であれ」論ではありません。貧弱なセーフティーネットや圧倒的買い手市場の現状を考えた時に、労働者個人が「我慢する」という選択肢がひとつの最適解になってしまっていることも事実だからです。実際、ことは特定の一企業に留まらず社会全体の課題であって、政府による規制なども含めて検討されるべき問題です。根本的な解決となると、とっても気の長い話ですよね。



ここで宋さんが言っていることは、遠大な理想のように聞こえるかもしれません。でもいま僕たち労働者に必要なのは、短期的に現実的な最適解を探すこと、それと同時に、今ある環境を必要以上に肯定しない、無批判に受け入れないという視点なのだと思います。「そうは言ってもさ」と言いたくなるその場面で、「でもこうであったら一番いいよね」というイメージも捨てないでおくこと。理想は理想として持っていれば良いのです。まして戦ってくれている人が居るなら、足を引っ張ることだけはやめておきましょう。


短期的な対処法についてはちっとも思いつけていないので、引き続き考えていきたいと思います。