低収入&極小労働時間という生き方のエッセンス──労働から仕事へ

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日本一有名なニートid:phaさんの『ニートの歩き方』の書評記事。ノマドワーク・バッシングも盛んな昨今、この手の記事はネットで一定の支持を得つつも、つねに同時に「所詮はエリートのチラシの裏」的な冷ややかな視線が向けられている感じがいたします。その気分はよく分かるなーと思いつつ、上記の記事はおもしろく読みました。


で、直後にちょっとだけツイッターでつぶやいたのだけど、



というような印象を持ったので、そのことを書いてみます。

〈労働〉と〈仕事〉

政治哲学者のハンナ・アレントは、人間の活動的生活を三つに分類します。

  • 〈労働〉
  • 〈仕事〉
  • 〈活動〉


ざっくり言うと、このうち、〈労働〉とは生存に関わる生産活動のこと、〈仕事〉とはシステムの設計構築や芸術をはじめとする職人的・創造的な営みを指します。前者は、古代において奴隷階層が〈労働〉を担っていたことが象徴するように、人間の生存と繁殖には欠かせないけれども出来れば避けたい活動、軽蔑の対象となる苦役です。後者の〈仕事〉は、生存とは切り離された創造に関わる行為であり、当然こちらが高く評価されます*1


僕たちは普段「労働」と「仕事」(=働くこと)をほとんど区別せず使っています。そんな状況にあって、ある人は働くことを肯定的に捉え、また別の人がそれを否定的なものとして言及したりする。なぜこんなことが起こるのでしょう? アレントの論に従うなら、そうした事態は、〈労働〉と〈仕事〉を混同しているために生じるといえます。つまり、働くことにポジティブな意味を見出す人はそこに〈仕事〉的側面をみており、一方、ネガティブなニュアンスで語る人は〈労働〉的側面をみているというわけ。

〈労働〉を減らし、〈仕事〉を増やす生き方

前述したとおり、「少ししか働かず遊んで暮らす」という言い回しには、一般的にはネガティブな評価が下されることが多いように思います。しかし、以上のような観点を持ち込むと、これまでの不毛な対立軸とは全く別の論点が見えてくるのではないでしょうか。すなわち、「少ししか働かず遊んで暮らす」は「〈労働〉を減らし、熱中できる好きなこと=〈仕事〉をたくさんする生活」という言い換えが可能ではないかということです。


ここでちょっと視点を変えて、世の中に溢れる、「自己実現」と仕事を結び付けて語る啓蒙について考えてみたいです。というのは、そこでもやはり〈労働〉と〈仕事〉の区別はされていないように思うからです。仕事のやりがいや素晴らしさを説く人たちは、もちろん仕事の中の〈仕事〉の部分を見ているわけです。ただ、そうした信念を比較的すんなり受け入れられるタイプの人にとって、両者を区別していないことはさほど重要でないのではないか? なぜなら、仕事のうちにある〈労働〉の(精神的な)負荷が低く、「夢の実現のために乗り越えるべき障害」といった信念によって比較的容易に乗り越えてしまえるからです。


他方、仕事の〈労働〉的側面をとにかく苦痛に感じる(僕のような)人間は、彼らの主張と自分の感覚に言いようのない噛み合わなさを感じることになります。それは「〈仕事〉は自分ももちろんしたい、でもそれがなぜ仕事(or 労働)でなければならないのか?」という感覚です。端的にいえば、僕たちが仕事を拒否することを彼ら(の一部)はもの凄く嫌がりますよね。でもそもそも、どちらのタイプも〈仕事〉を求め〈労働〉を嫌がるという点で(おそらくは)一致しているわけです。「少ししか働かず遊んで暮らす」というスタイルは、一般的な意味でいう努力や仕事と程遠いものかもしれないけれど、そこにはまったく別種の〈努力〉や〈仕事〉が必要になるものだと思います。つまり目指す方向は本来同じはずなのです。


もちろん(普通の、賃金を稼ぐという意味での)仕事にやりがいを感じられることは素晴らしいことだし、さほど苦もなく「仕事=〈仕事〉」の同一視が出来る人はそれで良いのだと思います。ところが、仕事と〈仕事〉を容易には統合できないタイプの人間にとって、「仕事にやりがいを見出して自己実現しよう!」というメッセージほど役に立たず、悩ましいものはない。僕たちにとっての仕事は、圧倒的に〈労働〉的側面が大きいものだからです。でもそれは〈仕事〉に熱意を注がないという意味ではまったくない。


では、「自己実現=仕事」啓蒙が通用しない困った人種は、どのように生き延びていけばよいか? 戦略はふたつあるように思います。ひとつは、〈労働〉を〈仕事〉に変えていく努力をすること。もうひとつは、〈労働〉を極力避けつつ〈仕事〉にとことん比重を置いた生き方を志向することです。phaさんの処世術は、後者の方法論と言えそうですが、どちらを選ぶかは趣味の問題でしょう。当然、〈仕事〉をしながら収入を得ることがベストですが、「〈労働〉を減らし〈仕事〉を増やす」という構図を意識することがまずは重要かなと思います。@fromdusktildawn さんも言うように、phaさんの方法論はそのまま真似できるようなシロモノじゃないはずです。でも、応用なら十分できそうな気がします。


以上、phaさんの本を読まずに書いた感想でした。

補足

なお、先述のアレントの議論を分かりやすく解説した著作に『暇と退屈の倫理学』があります。内容そのものもたいへん面白く、おすすめです。「人間の不幸は部屋でじっとしていられず、つい気晴らしを求めてしまうことのなかに原因がある」と語ったパスカルの断章や、「退屈とは、今日を昨日から区別してくれる“事件”が起こることを望む気持ちがくじかれたものだ」というラッセルの洞察を出発点に、「いかに生きるか(=倫理学)」を模索する一冊。


*1:ちなみに〈活動〉は政治のこと。アレント自身はこれを最も強調した