痛みと死の誘惑


中川幸夫≪聖なる書≫1994年 金沢21世紀美術館


痛みのキツさを思い出した。


僕は以前、咽頭部周辺に潰瘍が大量にできて、苦痛で夜も眠れない日々をすごしたことがある(喉元からその奥にかけて、巨大な口内炎がいっぱいある状態を想像してもらえば大体あってる)。食事はもちろん、常に喉の痛みに悩まされたし、会話をする気力すら奪われた。ずっと眠っていられないのが嫌だった。ほぼ毎日のように病院通いをして治療を続けるものの、ほとんど改善は見られない。そんな状況が1ヶ月以上続いた。――あの時感じた健康な身体の尊さは、間違いなくいま僕の生きる足場になっている。でも同時に、あれから十年近くが過ぎて、ありありとしたあの実感はたしかに薄らいでしまっていたように思う。


昨朝からパートナーが歯痛を訴えていた。夜、仕事から戻った彼女は、眉間にしわを寄せ激しい痛みと闘っている。鎮痛剤も数時間と効果がもたず、目に見えて体調が悪化していく。吐き気もするようだった。ただ、痛み止めが効かない以上、氷で冷やすくらいしか対処のしようがない。病院の診察開始までの間、なかなか進まない時計の数字を何度も確認しながら、気持ちだけは献身的に時間をやりすごした。こういうとき、痛みを感じない側におかれるのもシンドイものだと思った。かつて僕が痛みと闘ったあのときとは逆の立場なわけだけど、これは無力感がやばい。


肉体的な痛みのキツさはなによりも、症状が出ているその間、いつ何時も忘れることができない点ではないかと思う。心身のすべてが痛みに支配されてしまう。ここから解放されたいと強く願うようになり、死の選択も急速にリアリティを帯びてくる。平常時では考えられないほど、結構あっけなく絶望で満たされてしまうのだ。そんな時、ともに闘ってくれる人がいるのはほんとうに心強い。僕自身、あの時期を乗り越えてこられたのは、パートナーがいつも傍に居てくれたからで、この人のためにも元気にならなきゃなと、そう思った。その一方で、痛みに顔を歪める自分を見て、疲労と悲しみに覆われていく彼女を見るのはやっぱり辛かった。抜け出せない感じがした。いっそ何も感じなくなってしまえたら楽なのに、とか考えたり。


とかいう身近な実感のもとで尊厳死の話題を読むと、相応の切迫感があるよな。痛みを抱える患者自身と、家族をはじめとする周囲の人たちはともに疲弊している。「(痛みから/介護から)楽になりたい/解放してあげたい」という相互の思いを想像すると、「安楽死」を望む立場もけっして他人事じゃない。他方で、「自らの死を希望する」という要件を規定することをめぐっては、様々な困難が当然つきまとうのだとも思う。介護や経済的な負担から家族への罪悪感で死を希望する、あるいは家族や医師からの要求を受け入れるという事態もほぼ確実に起こるだろう。現にそういう人は居るといえばそのとおりだが、それを法制化するということは全く次元の違う話なわけで。


尊厳死協会の前理事長は「医療や福祉のお金を削るために(膨張を抑制するために)法を作ろうなどと毛頭思っていない」と話しているそうで、たぶん実際そうなのだろう。でも、法制定時の精神が運用の現場に継承されず、拡大解釈されるという問題はぜったいに出てくる。いまのような不況で「コストカット」が熱烈に支持される状況下ではなおさらに。他人の生命をコストと考える思考は、自分の生命も他人にコストと宣告されることを容認せざるを得ない、というのは構造的な帰結。とにかく焦って決めるべき問題じゃないし、この法案には乗れないなあ。



処置を受けてパートナーは少し元気を取り戻して帰ってきた。いつもの顔があるとそれだけで安心することに気づくのはもう何度目か。労いに、森永焼プリンでも買っていっしょに食べようと思う。大好物なんです、僕が。