退屈までの期限


Pi day / Takashi(aes256)


仕事をしてる間は、この契約が終わったらやりたいことだけして過ごそう、そんなことばかり考えていた。仕事は仕事で楽しい。お金を稼ぐこともそれなりに充実感はあるし。だけど不意に訪れる虚しさがどうにも息苦しかった。そうした気分は仕事が連れてくるような気がしていた。それはある意味で正しかったのだけれど、仕事の中身とか労働すること以上に、同じ生活が繰り返されるそのこと自体。原因の根本はそこにあったみたい。


1年間、自由に時間をつかえる生活をしてみて気づいたのは、好きなことを続ける日々もまた、慣れたら退屈がやってくるということ。これまでにない充実感とこれまで通りの虚しさ――「あの感じ」――の間で浮き沈みしてる。いまにして思えば、学生の頃は卒業というリミットに救われてたよね。会社員から降りたのも、結局は定年というずいぶん先の「おしまい」まで続く単調さのイメージに耐えられなかったからだと思う。人が死を宣告されたあと、人生が濃密になるみたいな話はいま妙にリアルに感じられる。


僕は昔から飽き性だったから、ときどき虚しくなるのは仕方ないと思っていた。強烈に熱中できるものを見つけたかったし、ずっとそう出来ない自分に苛立った。でもたぶんそれを目指すのは間違ってたのだろう。夢や目標は人生に意味を与える。それはドラッグみたいなもので、たしかに強烈なのさえ入手できれば、死ぬまで効果は持続するかもしれない。でも僕はきっと見つけられない。そのドラッグを飲むことの無意味さと、無意味さにこだわる無意味さにこだわってしまうから。かといってドラッグなしではやっていけないし、クスリの飲み方に無意味にこだわるくらいしか、いまはアイデアが思いつかないけども。