痛みから解放されるための「酵素栄養学」

今朝すこしばかりつぶやいた、「酵素栄養学」の本を1冊紹介しておきます。

酵素栄養学とはどんなものか?

酵素とは、消化酵素などで有名なあの酵素です。健康食品なんかでも頻繁に話題になるものですが、著者の鶴見隆史氏もその有用性に注目するひとり。鶴見氏は現役の医師であり、東京・八丁堀にてクリニックを開業しています。


こんな症状はありませんか

慢性的な体の疲れ/肩こり、腰痛/慢性的な頭痛/肌のくすみ、目の下のクマ/目の充血/下痢、便秘など便通の問題/寝つきが悪い、早起きが辛い、夜中に目が覚める

こんな症状は体内の酵素不足が原因です。

鶴見氏の「酵素栄養学」を簡単に要約してみましょう。彼はまず、病気の主因が食生活にあることに着目しました。西式健康法マクロビオティックといった代表的な食事療法を自ら実践し、それらの理論を批判的に継承した上で「酵素」に重点をおいた独自の食事療法を考案します。ポイントは以下のようになるでしょうか。

  • 人間の健康に影響を与えるのは、まず何より食事である。
  • 人間の生命活動(代謝・消化)には酵素が必要不可欠である。
  • ひとりの人間がもつ酵素生産の絶対量は決まっており、使い果たしたとき、人は死んでしまう。


僕たちは生命維持に酵素という物質を使っている。それは日々体内で生産され、消費されているのです。この酵素の生産能力はほぼ先天的に決まっており、その限界が来ると生命維持活動ができなくなってしまいます。すなわち死期です。これらのことからは、酵素の消費を節約することが長生きの秘訣ということがわかります。そしてまた日々の不調・病気も、酵素の不足が引き起こす身体への悪影響であると鶴見氏は言います。

酵素栄養学の実践

では酵素を多く消費してしまうのはどんなケースでしょうか。それは身体に負荷がかかったとき、と考えればよいでしょう。具体的には、消化エネルギーの掛かる食品(たんぱく質・脂肪・砂糖・炭水化物)の摂取や過食、不規則な生活、過度な運動、飲酒、喫煙etc。いわゆる常識的「不健康」な生活であり、現代人の僕たちにとってごく日常的なライフスタイルがそれにあたります。


また体内で生産する他に、外部から酵素を取り入れることもできます。主には生野菜と果物です。酵素は加熱すると死滅してしまう特性をもつため、酵素栄養学的にいうと加熱食はNGであり、生食が推奨されています。あるいはクリニックにて処方される酵素サプリメントという秘密兵器もあるのですが、ここでは言及しません。高価な品です、とだけ言っておきましょうw


内部にある酵素の節約外部からの十分な酵素摂取。より平たくいえば、「節制しましょう」「生野菜を食べなさい」。大まかに言えばメインの主張はこれです。ありきたりな方法論に思えるとすれば、その直感は正しい。そう、ありきたりなのです。ただ、このありふれた「正論」が手を変え品を変えて新たな健康法として現れている現状、そこにこそ問題の本質があると僕は考えます。つまるところ、「わかっちゃいるけど出来ない」という精神の克服こそが最大の困難なのですよね!


この本の価値は、その"克服"という点において十分な説得力をもつことに成功しているように思えるところ。酵素の重要性の解説に始まり、酵素を浪費する生活習慣の弊害が丁寧に示されつつ、精神論を避けて徹底的に医学的見地からの解説が展開されるからです。内容的には、僕自身が実践している甲田式健康法(西式の後継手法)とも近いわけですが、東洋医学思想全開の甲田式よりも、一般の人にも受け入れやすい解釈ではないでしょうか。また、提案される食事メニューのハードルが低めなのもいい。明日からでも試してみようと思える内容になっているのです。

酵素栄養学という思想

誤解を恐れずにいえば、この本は一貫して「理系」的においのする本です。著者はあくまでも医学的観点からの理論による説得を試みるのであり、「食事療法」と聞いて"清らかななにか"を感じ取って避けてしまう、そんな人こそ読む意義のある本かもしれない。ただそんな本書にも、思想的な要素を感じ取ることが可能だと僕は思います。そしてむしろその部分こそが、僕にとってはもっとも興味深い。


著者は大病にともなう「苦痛」をこんな風に解釈します。
われわれ人間の身体には「肉体的寿命」というものがある。これはもちろん酵素生産の能力とは独立したものです。通常、肉体的寿命と酵素の寿命はほぼ同じスピードで減少していき、やがてともに生を終えます。ところが酵素を浪費する生活を続けることによって、酵素の寿命だけが極端に消耗していくような事態が起こったとき――酵素の枯渇はすなわち生命活動限界の訪れなのですが――、肉体的寿命が多ければ多いほど(ふたつの寿命間の乖離が大きいほど)肉体に苦痛が生じる、と。そう彼は言うのです。


乾いた木の枝はポキッと軽やかな音を立てて折れるのに対して、まだ瑞々しさを残した枝は容易には折れません。無理やり折るためには、周辺の組織をズタズタに引き裂き、影響を及ぼしながらちぎれるように折れざるをえない。このようなイメージが、肉体における「苦痛」の症状として重ねられる・・・。


本書の中ではこの部分もまた科学的に言及されていくわけですが、にも関わらず、もはや思想や信仰の領域に入っているようにも見え、大変面白い。往々にして僕たちは「ぽっくり逝きたい」的な希望を抱きながら日々過ごしている。しかしながら以上の観点からいえば「ふつう」に生きている限り、僕たち現代人は決して「ぽっくり逝けない」のではないか?「太く短く」という生き方は、最期の最期に苦痛という形で、身体に対する代償を支払うことになるのかもしれません*1。僕たちは正しく乾かねばならないのです。


いずれにせよ「食」をめぐる態度(なにが正しく/どうすれば私は満たされるのか)とは、不可避に信仰の色味を持つものです。本書はあなたの「正しさ」を塗り替えてしまうポテンシャルを秘めており、そしてそれは味わい深い体験となりうるでしょう。たぶんね。*2

*1:近年の死因上位に痛みを伴う疾患が並ぶ理由も、なんとなく説明できるように見えなくもないですね。なんとなくね。

*2:なお、「酵素栄養学は擬似科学だ」という反論の多い分野(というより食事療法全般が"トンデモ"と言われる傾向にある)でもあり、その点を含めて僕は関心を持っています。