異物になるということ


There was this time... I was lost inside the #Pink and couldn't find a way out... I was the only One. / gogoloopie


昨夜パートナーと話していて、『異物になるって大事だよね』という話題になった。


彼女はいま女性ばかりの職場で働いているのだけど、時折そこで交わされる「オカマネタ」に苛立っているという。「ジョーク」を言う人たちに悪意はなくて、単純に共通の笑いになるネタとしてそれを捉えている。マジョリティ特有の無邪気な(^^)偏見垂れ流しというやつ。そしてこれもよくあることだけど、その同僚さんたちは皆いいひとだ。却ってダメージは大きい。
そゆ場面で大事なのは、会話の流れに乗らないことだと思う。『自分はそのネタで笑えませんよ。』という意思表示である。職場という環境上の制約の中でできるベターな選択のひとつだと思うし、うんうんと頷きながら話を聞いていた。

身近な共感から偏見を解除したい

恥ずかしながらかつては僕も、セクシュアル・マイノリティについてありがちな誤解・偏見を持って当事者たちを眺めてきた一人だった。というよりも、実在の実感すらなかった。幸か不幸か、僕は自分が「男」であることへの違和感、既存のジェンダー規範に対する不信感――「男らしさ」への抵抗感――を抱えて思春期を過ごした。そのことがキッカケになって、この誤った認識を解くことが出来た。


「男」と「女」という二元論は、文化的・政治的に作り出されたものであり、自明の概念ではないことが今では明らかになっている。要するに、男性器を持って生まれたからといって、性自認が「男」である必然性はなく、性愛の対象が「女」に限定される必然性もない(その逆もまた然り)。生殖という観点から見た時に「必然」と考える方が――特に国家権力にとって――都合がよいというだけのことだ。性のあり方とは本来、もっと複雑で境界のない多様なもの(カオス)なのである。


けれど残念ながら、僕たちの社会の常識ではそうなっていない。これは端的に教育の問題だと思うけれど、なんにせよ無知や誤解に基づく差別・偏見は多い。それが現状だ。いわゆる「ホモネタジョーク」には、職場や学校、友人・親戚関係を問わず頻繁に遭遇する。ジョークで盛り上がる彼ら彼女らが想像する以上に、ごく身近に当事者がいたりするのに・・・。そうでなくとも、マジョリティの中にだってそれで不快な思いをする人が実際たくさんいるのに・・・。と胸が痛くなるし、悲しい。


ただ自分が偏見を持っていた経歴上、僕はそこで差別を糾弾したいとはあまり思えない*1。もうごく単純に、それで傷つく人があなたの身近に居ることを知って欲しいという気持ちが強いかな。リアルの友人・知人の中にも、『シス・ジェンダー(非トランス・ジェンダー)&ヘテロ・セクシュアル(異性愛)』こそが「普通」という、ある意味で「自然な」認識を持っている人は多くて、その人たちにとって同性愛者やLGBTと呼ばれる人たち――そしてそれを肯定する人たち――は異質な存在として映ることだろう。もし同じコミュニティに当事者が居ると知ったら、気難しい人だとかちょっと鬱陶しく感じるものかもしれない。


でもならばむしろ、僕は「異物」として友人・知人であり続けたいと思う。あるいは僕自身も、異質な他者の存在に――というより他者とはそもそも異質な存在であるということに――敏感でありたい。異物との出会いは自身の可能性を広げるチャンスであり、誰にとっても素敵なことであると僕は信じている*2。そしてパンにはやっぱりネオソフト。そう信じている。

*1:もちろん腹が立つこともあるし、非難を受けたとしても当然の行為であるとは思う。あくまでも自分は積極的にそう振舞えないという話です。

*2:人種差別、在日外国人差別など、他のマイノリティ問題についても同様。