「人生は一度きり!」では変われない僕たち

『妻が亡くなるまでの全てと、その後の僕の全て』

という文章を読んだ。3000以上のブクマが付いた注目度の高い記事で、読まれた方も多いと思う。「結婚まもない夫婦。闘病期間わずか3ヶ月(肺ガン)で、妻を亡くした旦那さんの言葉」を綴ったもの。(現在は削除されています)


昨夜見つけてひと通り読んでから、一日心が重たかった。いや、もっと切実にキツかった。僕はかつて(一瞬とはいえ)死を意識した病気の体験があるので、闘病の光景がリアルに蘇ってきたし、当時その様子を病室で見守ってくれていた恋人の立場も改めて想像させられた。自分自身に病魔が襲い掛かる恐怖、そしてパートナーを失う絶望感。そんなもの、できれば想像したくない。
でも同時に、突然起こり得る「悪夢」に対して真剣に向き合っておく必要性も突きつけられた。それこそが、あの重たい読後感の正体ではなかろうか。

震災後の新生活

震災後、僕は東京での仕事に一旦見切りをつけ、パートナーとともに彼女の実家もある北海道に移り住んだ。二人とも精神的疲労が大きかったが、特に彼女は数分単位で繰り返される余震で完全に参ってしまっていた。「何よりも二人の日常が優先」と引越しを決意した。札幌は関東と比べて揺れの頻度も少なく、少しずつ新しい日常を取り戻していった。この時の判断は今でも全く間違っていなかったと思う。


とはいえ悩む。仕事のアテがあって移住したわけじゃない。僕はフリーのエンジニアとしてSIer相手に技術を貸す仕事をしてきた。元々、期間契約が終わる度に休暇を入れてはまた働く、というスタイルの生活をしていて、当時も次の休暇の予定を考えていたし、だからこそ仕事を捨てられた。「貯金がヤバくなったら、東京に戻って働けば良いや」と思えるからこその新生活。でも東京に拠点があるのとは「戻る」気楽さは当然違うし、半年以上の長期休暇を予定してもいなかった。いずれはまた安定した収入源を得る必要がある。一応は別な収入源確保を考えて動いてはいるけど、それだって現時点では上手くいくか分からない状態。(基本的には楽観的だけどね)


でも現実的に考えた時、何となく怖いんだよね。東京に戻るのが。個人的には放射能より地震の心配をしてるけれど、短期の東京滞在(移住後、何度か行ってる)でも未だに不安になるし、いまパートナーを連れて東京に戻りたいとはちょっと思えない。かといって、「じゃあ離れて暮らすか」という選択肢も最近はどんどんナシに思えてきた。やはりそこが僕にとっての生活の基盤なのだ。
しかしそうなるとなかなか厳しいぞ!どうしたもんだろうね・・!

「何のための仕事なのか」

震災の後、現場で同じチームだった先輩Aさんがお客さんと揉めた。Aさんには奥さんと1歳の娘さんが居た。日中、自宅に残された奥さんは恐怖と「娘を守らなくては」というプレッシャーから精神が不安定になり、「なるべく家に居てほしい」と訴えたそうだ。Aさんはそれに応えようとした。


開発案件というのは、大体どこも納期に追われていて忙しい。その当時も、例の如く予断を許さぬ進捗状況で、震災直後もできる限りの出社を求められた。そこでお客さんと利害がぶつかったのだった。結局、Aさんは夜遅くまで作業にあたっていたが、心象を悪くして早々の契約打ち切りになってしまった。その時期、Aさんが時折こぼす言葉が印象的だった。


「幸せの為に仕事をしてるのに、何故家族を見捨ててここに来ているのかな」


あの時―― 特に震災の翌週、これと似たことを誰もが考えたのではないだろうか。
「あの混乱の中、整然と並び電車を待つ日本人」と海外から賞賛され、終日運転見込みの立たない路線が出ていても、なんとか通勤をと悪戦苦闘したあの時だ。


「何故わざわざ出勤しなければならないのか」
「そもそも、何故こんな状況でも自分は働いているのか」


そんな疑問を誰もが持ったはずだったのに。気が付けば、また「いつも」と同じように仕事に向かっている。いつのまにか忘れてしまっている。

確実に来る「終わり」、分からない「死期」

「仕事と家族、どちらが大切?」


こんな質問は愚問だろう。ただ、それでも仕事は捨てられないという現実的な問題が僕らの目の前にある。Aさんも、家族を置いて仕事に行くことを選んだ、「家族のために」。でももしも、「最愛のパートナーが余命わずか」と分かっていたとしたら、選択は全く違っていただろうとも思う。


僕は明日死ぬかもしれない。あるいは半年後かもしれない。でも30年後、まだ生きているかもしれない。それは分からない。僕らの人生は一度きり、それは間違いない。けれどリミットが分からないという条件の下では、僕らはどうしようもなく不自由だ。


「癌という病気はある程度余命が分かります」
「死に向かう準備ができるのだから、癌は良い病気です」


こんな言葉を最近どこかで聞いた。とても残酷な言葉だけれど、紛れもない真実を含んだ言葉だと思う。あの時、急激に高まって、急速に収まった「疑問」の熱について、僕らは今、ちゃんと向き合って来ているだろうか。

最後に

こうして考える機会を下さった筆者様と奥様に感謝するとともに、
奥様のご冥福を心よりお祈りいたします。