「受け身でいるのに文句だけ言うな」って指摘を受けた

自分の死に方は選べるか」というエントリー内容について彼女と話をした。

彼女は私の考えに理解は示しつつも、反論を展開。

『「葬式」という儀式に馬鹿馬鹿しさを感じるのは勝手だけれど、それを露骨に態度に出すのはどうなの?参列した親戚の多くは、葬式の形に、多かれ少なかれ意義を見出しているはず(親戚付き合いという意味でも)だし、それを否定する資格は誰にもないはず。そして「自分はマイノリティである」ということをもっと自覚するべきで、自分の考えを理解されないことでイジけんな。』
って。(ちなみに意訳です)

一方で、思想的なマジョリティは「礼節・善意」とかのキーワードで良心を押し付けがちだよね〜、みたいな話もした。(だから反論というより心配してくれたのですけどね)

自分自身で自覚してる悪い癖なのだけど、こういう時、批判の対象として「大人」という存在を敵として作り上げてしまっている。まんま思春期のコドモ。

『子供が大人と1番違うのは徹底的に「受け身」であるところ。経済的な面も含めて、周囲の人間や社会の行動を受けた上でしか行動できない存在。』
って。これも仰るとおり。

受け身でいるということは、責任を背負わないスタンスだからズルいんだよね。経済的には独立できているわけだけど、社会に対してはまだまだ関わり方が受け身だったなぁと気付きました。反省。

そして感謝の意を込めて。これからも突っ込みよろしくね!