いつの時代も「オヤジは考えが古い」と言い、「今の若者は・・・」と嘆く

子どもとの交流で感じた政治家とのギャップ

田原氏が良い事書いている。70過ぎの爺さんが今の子供達をみて、「こういう世代が育っているのなら、次の時代は大丈夫だ」と言っていることが、無性に嬉しかった。

自分はまだおっさん手前(と思っている)だから、幸い若者に対して「理解できん」と呟く場面にはまだ遭遇していない。ずっと感じてきたのは、「今どきの若いヤツわ」とひと括りに、安直に批判する大人たちへの反発心だった。

たとえば自分達は戦争を知らない。だからじいちゃん世代が味わってきた苦労や、今の時代がいかに豊かであるかなど、その世代の人達と同じ程度の有り難味を持つことなどできない。それを「昔はナァ・・」などと言われても、「分かってますよ」とうんざりするしかないのだ。(でも本当は分かるはずもないという事も、互いに分かっていると思うのだけど・・・)

逆に、「俺達は戦争を知らない、だからこの時代の豊かさを本当には理解できないかもしれない」と、危機感や焦りを感じている人も、同世代には結構いるんじゃないかと思っている。自分達の知らない戦争という恐怖を味わってきた世代を尊敬・感謝する気持ちは、心配するほど失ってはいないと思う。だからじいちゃん世代の人たちには、安心して欲しい。意外と悪くないよ、僕らの世代も。

戦前の世代よりも、衝突する機会で言えば父親の世代かもしれない。この世代間だって一緒だ。会社の上司と呑みに行くと、そういう場面には頻繁に出くわす。たといその人のことが好きで尊敬していても、「今の若い人は」とか「俺達の時代だったら」とか言い出すと、本当にがっかりする。僕達は高度経済成長もバブルも経験していない。だからわかんねえよ、あんたらの感覚は。自分達だって、「今の若いもんは」と言われて散々うんざりしてきただろうに。

そして僕もすでに「おっさん」と呼ばれる世代に差し掛かってきている。今度は自分の口から、「今の子は」と呟いてしまうのだろうか。それを想像するのは恐怖だ。「違う」ということや変化することを柔軟に受け入れて行きたい。自戒の念をこめて。

おっさん達の熱い情熱を見て、子供達には明るい未来を示してあげられるような世代になっていきたいなあ。