需給のバランスは大切に

最近、どうも煮詰まってるなぁ〜と色々な場面で感じていたのだけど、ちょっとした生活の変化で視界が開けたような気がしています。きっかけは読書を始めたことです。

小学校以来、ずっと本を読むということから遠ざかっていました。前回まともに読んだ本なんて、、、シートン動物記?というくらいの空白期間。。。情報はネットで手に入るし、技術書や雑誌をたまに購入するくらいしか本に触れる機会を作っていなかった。でも読み始めたら、これはスゴイなと。今さらながら、本の持つ力を実感しましたよ(^Д^)

ネット上には確かに豊富に情報があるし、伝達スピードも速い。信憑性の問題とかもあるけれど、取捨選択能力の問題(それはテレビとかでも同じですし)なのでさほど気にせず、十分事足りているように思っていました。それでもやっぱり書籍という形だからこその意義というのはありますね。1冊を通して著者の考えが整理・体系化されているので、趣旨を理解しやすい。

あとウェブの特徴でもあるハイパーリンクの存在が、実は文章を理解する上で障害になっていたかなとも思いました。あくまで自分の場合ですが、関連キーワードへ話題が拡散していってしまうので、本旨を見失うような感覚を持っていました。書籍の際も「このキーワードをウィキペディアしたい」という場面はたくさんあるのですが、その物理的な制約が返って良いのかもと。後で調べるタメに、自分でキーワードを抽出する作業も生まれるので。これも自分にとっては目から鱗的な発見でした。

読書感想文も意外と悪くない(むしろ重要)

本ばかり読んでるとバカになる - わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

その関連で、このエントリーが素晴らしい内容。要は本を読んで知識を増やすだけじゃダメだ、内容から自分で考えてそれを言葉(文章)にしなさいと言っているのですが、色々と気づきを貰うことができました。

私が「煮詰まっている」と感じていたことは、簡潔にいえば「(色々な場面で)アイデアが浮かばない」ということだったのですが、いま考えてみれば当たり前で、アウトプットばかりを求めていてインプットがなかったからです。だからこそ、「本を読む」というこれまで自分に無かった経験や知識が思考の循環を正常化したのだと思います。

ただ最初はやはり漫然と読書していた。そこ書かれている知識を、著者によって整理された言葉でそのまま自分の中に入れて、知った気になっている状態です。でもこれではタダの痛いヤシです。今はインプットが足りていないから、何となく循環しているように思えても、きっと今度は供給過多に陥る。自分でもっと考えなくては、頭でっかちになる!ブログ書かなくては!と思い至ったのであります。

案の定、理解したはずの内容も自分の言葉にしようとすると全く出てこない。言葉にならないと、「本当に理解できているのか、オレっ?」、「あれ、結局作者が云いたかったことって何だっけー!?」と思考を巡らせることになり、とにかく時間がかかる。。でもこの作業が大切なのですよね。はっきり言って苦しい作業ですが、とにかく始めよう、続けようと今は思っております。文書書ける人ってすげー!

フィードバックを行うことの重要性については、多くの方が述べていることです。梅田氏の「ウェブ時代をゆく」でも自らのブログ執筆活動を実践的な方法として紹介しているし、「バカの壁」では頭で考えること以上に手を動かすこと、身体感覚に結びつける習慣が大事だと養老氏は言います。

ベストセラー連発の勝間かず代さんが「ブログを書け」と言っているのは、こうした日々の経験からフィードバックを出力する作業が自分への投資になるのよ、ということなんですよね、たぶん。まだ読んでないのだけど、勝間本はとにかく1冊読んでみようと思ってます。

より良い読書を考えると課題は山積みですね。ジャンルが偏ってるとか、読む速度が遅いとか。この新習慣を人生のより良き糧とすべく、多くの方の知識を吸収させていただこうと思っています。