猪瀬副知事の「性的少数者の人権を認めます。」発言について


都知事選を巡って、猪瀬氏のこの発言が話題をあつめています。そして猪瀬擁護の立場をとる東浩紀氏の発言にも。



僕は両氏の仕事には大きな関心を持っていて、おふたりが出演されたニコ生番組はほとんどチェックしてますし、このブログでも何度か取り上げてきました。


東氏が語るように、石原前都知事にたいする評価と猪瀬氏への評価は(まったくの無関係とはもちろん言えないけれど)基本的に別だと捉えていますし、システム・インフラの構築に力点を置く氏のスタンスを僕は信頼しています。もし猪瀬氏が都知事選に立候補したとすれば、おそらく彼に投票するでしょう。でもそうであるからこそ、今回おふたりの発言は看過できません。

人権意識の啓蒙


人権は万人が生まれながらに持っている権利にも関わらず、この社会ではそうした意識があまりにも希薄です。猪瀬氏ほどの人物が人権の基本的な認識が欠けているとは到底思えませんが、少なくとも先の発言だけを見ればそのような印象を受けることは否めないし、間違った解釈を広めることにもなりかねません。これまで政治家の「言葉の軽さ」を批判し、『言葉の力』の著者である猪瀬氏の言葉ですから、「言葉のあや」で済ませてほしくありません。


代表的な批判である、上川あや議員や東小雪さんの発言は別段「左翼」的でもなければ、「いちゃもん」とはとても言えないと思います。むしろ全うな指摘でしょう。なにより彼女たちは性的少数者当事者でもあるわけです。しかし今回、東氏はこうした発言をもひっくるめて「いちゃもん」と切り捨ててしまっている。たしかに中には「いちゃもん」としか言えないような猪瀬バッシングもありますが、さすがにやや左翼アレルギー的な反応ではないでしょうか。


猪瀬、東両氏がマイノリティ問題に無関心かといえば、そうではないと僕は思っています。比較するのもアホらしいほどに杜撰な認識の政治家・言論人はたくさんいるのも事実だし(それこそ前都知事のような……。)。しかし、「マシ」だからと「些細な点」は看過して共闘、ということにはなりません。猪瀬氏を応援し、政策実現を支援しつつも、同時に問題点は批判していく。その両立は十分可能でしょう。平等という「理念」/政策の実現という「現実解」、このふたつの柱の両立こそがまさに東氏が目指す──そして僕が共感する──モチーフなのではないでしょうか?

社会運動の多様性を


他方、マイノリティ当事者の中にもこうしたスタンスを選ぶ方はいます。それ自体はたいへん重要なことです。ただ、このようにマジョリティに譲歩する立場は好意的に受け入れられやすい一方で、問題が矮小化・無効化されやすいという側面を持っています。問題の存在をまず明らかにすべく主張し批判する嫌われ役の存在を前提にしてこそ、彼らの存在意義が出てくるわけです。


にも関わらず、マジョリティ側に寄り添うべきとするマイノリティ集団が、「文句ばかりいう」マイノリティ集団を攻撃する(そしてマジョリティがそれに便乗する)という構図の回避しづらさも、社会運動の難しさですよね。しかしそれはどちらが欠けてもいけない。「マイノリティ」といえどそれは便宜上団結した集団であって、その内情は(マジョリティ同様に)多様です。そしてひとつの立場がそのマイノリティたちの抱える問題すべてを汲み上げることができない以上、さまざまな立場から発言・行動することが重要になってくる。そのことが広く理解されてほしいと思っています。


というわけでこれ読みたい。

追記

猪瀬副知事「性的少数者の人権を認めます。」に対する北田暁大氏のコメント


「東氏は“人権概念は脱構築可能”との意図を持っているのではないか」という解釈は興味深かかったです。その上で、猪瀬・東両氏に対する北田氏の批判に全面的に同意します。