哲学史における生命概念('10) 第13回 ニーチェと芸術(講義メモ)

ニーチェの生哲学(2)哲学と音楽

ニーチェの哲学を、音楽との関係を通じて検討する。リヒアルト・ヴァグナーの芸術が取りあげられる。


【キーワード】リヒアルト・ヴァグナー、ディオニュソス的、バイロイト、『トリスタンとイゾルデ』、無限旋律、フルトベングラー、『カルメン

ヴァーグナーニーチェ

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ニーチェと芸術、とりわけヴァーグナーの音楽との関係も重要。ヴァーグナーへの心酔とドイツへの敵対意識が結びつく*1。17歳で『トリスタンとイゾルデ』を知ったとされる。

ヴァーグナーニーチェの31歳上。ショーペンハウアーへの心酔という共通点もあり、親交を深める。ニーチェは引越しの手伝いまでしたらしい。

悲劇の誕生

ギリシャ悲劇の研究をまとめたニーチェの最初の著作。彼は25歳でバーゼル大学の助教授として招かれた秀才だが、あくまでも古代ギリシアの古典を研究する文献学者としてであった。


ニーチェは高度に発達したギリシア精神ではなく、それ以前の、未発達な神話の知恵により大きな生命力を見出した。ヴァーグナーの音楽からインスピレーションを受けてまとめられたとされる。

ディオニュソス
別名バッカス古代ギリシアにおけるブドウ酒の神。神を讃える祭典においては乱痴気騒ぎが行われていたが、そのもとで個人はその個体的輪郭を失い、集団の興奮に溶け込んでいくとして価値を見出した。混沌の内に生の充溢を見る。情動的・陶酔的性格の象徴。生の充実こそが悲劇を求める。
アポロ的原理
ホメロスに代表されるギリシア的精神。予言・太陽・光明・文化・知性の神。一般にわれわれが知っている(そしてゲーテが賞賛した)ギリシアの象徴的存在。個体化という概念によってその原理が示される。生の衝動ともいえるディオニュソス原理と敵対するものであったが、和解が生じ、その場面こそが「悲劇」の誕生であるとした。なお悲劇は決して、衰弱した精神が求めたような、否定的なものではないと主張されていることが重要。
アレキサンドリア的聖籠
ギリシア芸術における第三のカテゴリ。ギリシアのポリス文化が大帝国に飲み込まれてしまった後のヘレニズム文化をさす。ソクラテスアイロニーを交えた知性(主知主義)のもとで、ディオニュソス的な暗いパトスが解消されてしまうと捉え、近代における合理主義的、キリスト教的・市民的道徳観、ドイツ知識人を支配していた教養主義的態度への批判へと繋がる(=反時代的)。


以上のように捉えた上で、ニーチェヴァーグナーの音楽を、ディオニュソス的――非合理的側面を孕み、真に創造的なもの――であるとして特別視する。

『反時代的考察』

「第4篇 バイロイトにおけるリヒアルト・ヴァーグナー」においてヴァーグナー論を展開。一貫して彼に対する礼賛の美文を連ねている。

ヴァーグナーの音楽

ヴァーグナーは19世紀後半の音楽史上最大の存在とされる。ベートーヴェン以降の伝統を継承するだけでなく、新たな世界を開拓。ドイツ後期ロマン派への道を切り開くに留まらず、ヨーロッパの音楽全体、あるいは音楽を超えた影響を与えた。

トリスタンとイゾルデ
無限旋律が多用される。トリスタンとイゾルデの愛の感情をあらわすライトモチーフとその展開によって、長編にもかかわらず緊密な集中力が獲得されているといわれる。

ヴァーグナーとの決裂

1876年、バイロイトにおけるヴァーグナーの成功がおこったまさにその時、ニーチェ側からの一方的な決裂が始まる。ニーチェ自身のルサンチマン的要素も多分に認められる。なかでもヴァーグナーの最後の作品『パルジファル』は、カトリック的雰囲気に充満しており、従来のヴァーグナー芸術からの逸脱、裏切りとして激しく非難した。最終的には、ヴァーグナーの音楽をディオニソス的芸術の位置から追放してしまう。


こうしたニーチェの言動は、フルトベングラーによって「ヴァーグナー芸術に対する無理解にすぎない」と批判されることになる。他方で、ヴァーグナーに対する罵詈雑言と、比類なきヴァーグナー理解の言葉が入り混じるものであったことも疑いがない。

生の概念の完成

ヴァーグナー批判を通じて、ニーチェ的生の概念の完成に至ったとみることもできる。後期ニーチェにおいては、「舞踏」「ダンス」といった表現が好んで用いられている。これは『悲劇の誕生』の頃とはちがった形でのディオニュソス的な価値を読み取ることができる。晩年の彼は、ビゼーの『カルメン』を絶賛するようになる。現実をいささかの美化も割引もなしに受け止めるというモチーフに共鳴し、永遠回帰思想のもとに生を捉えたニーチェの心を奪ったのであった。

*1:ただしニーチェの持つ嫌悪感は愛憎入り混じる複雑なものであることが多い。