アイドル=時代ごとの「リアル」の歴史〜タマフル的アイドル論 AKB48映画評メモ #utamaru

『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』
映画『AKB48ドキュメンタリー第2弾』公式サイト


話題の映画。アイドル文化に対する問題意識、関心を持つ人は必見かもしれない。AKBファンでない僕も、これは見ておくべきかもと思いました。たぶん泣いちゃう。
以下、番組内容をざっくりまとめ。(ネタバレあり)

宇多丸評(シネマハスラー

  • 日本型アイドルのひとつの到達点(臨界点)。
  • ファン限定作品ではない。
  • 宇多丸氏自身はAKB48のファンではない。中には面白い試みがあり、それは評価しているということ。
  • 総選挙=面白すぎる残酷ショー。「法律で禁止すべき!」といいたくなるレベル。
  • 「ここまで彼女たちに負担を背負わせてまで、アイドルファンを続けて良いのか?」という重たい問いを投げかけている。
  • これまで隠蔽されてきた「アイドルの危険性」を露わにしたのは画期的。
  • 『一緒に観に行った小学生の娘が「AKBになりたい」と言わなくなった』(リスナーの葉書)
日本型アイドル史

「何がリアルか?」への追求とその変遷がアイドル文化。

  • 80年代に入ると、世の中全体の性意識の変化。「年頃の女の子がセックスしないなんてリアルじゃない」。あえてブリッコを楽しむ時代は80年代前半まで。
  • アイドルという存在自体がリアルでなくなり、虚構への逃避としての側面を強める。
  • 一方、アーティスト指向・スキル主義にリアルさを見出す時代へ(アクターズスクール一派の成功)
  • さらには、ドキュメンタリー主義(究極のリアル)を通じてアイドル像を再構築したのがASAYAN→初期モーニング娘。


モーニング娘。は一般人の女の子をアイドルに育成する過程を大胆に公開。生身の少女に課題を与え、負荷を掛けることでリアルな人間ドラマを引き出すことに成功する。実力が人気に追いついてない残酷な現実に人々は魅了される。モー娘はASAYANでの露出をすぐに止めてしまうが、ASAYAN的な見方で入ったファンが隠蔽された彼女たちのストーリーを勝手に補完しはじめたのがモーヲタ文化。


AKB48も当初は箱庭的なアイドル路線だったが、2009年頃から現在のASAYAN文化をさらに突き詰めたアイドル路線へシフトチェンジ。


過去の作品を含め、アイドル映画自体が、少女たちの生々しい姿を残酷に切り取った演出が支持されるという側面がある。

映画の柱
  • 第3回総選挙(前田敦子の返り咲き)
    • 「面白すぎるから、法律で禁止しろ!」と言いたくもなる残酷ショー。
    • 大島優子の気丈さの裏側。感情を爆発させ号泣するショッキングなシーン。
  • 西武ドームライブ
    • 『僕が知る限り最低のステージでした』(秋元康談)
    • 瀕死者続出。文字通り戦場の舞台裏。
    • 過密スケジュールの中での疲労・準備不足。
      • その「不足感」すらもエンターテイメントとして見せてしまう面白さ。病んだ構造。
    • 限界に達するメンバーに向けられたアンコールの暴力性。
      • 「アイドルファンでいること=彼女たちへ負荷を掛ける構造への加担」の暗示。
  • チーム4
    • 戦争映画モノのメタファーで言う「新兵」
    • 現役アイドルがオフィシャルな映像で恋愛スキャンダルに言及。
総括
  • 「ここまで辛い思いをして何故アイドルを続けるのか?」という問いに対するギリギリの回答として、震災支援のライブシーンが呼応する。
  • ただし、この戦場そのものを用意し、楽しみ、利益を得ている「大人たち」の責任という最も根本的な存在については不問にしている(示唆してはいる)。
  • 全てのアイドルに本作品で描かれるような側面はあったはずだが、それをついに提示してしまった。次に残されたものは、アイドル文化が成り立つ構造そのものの解体である。いずれそれをやる作品が生まれるかもしれないが、その時は「最終回」。再び「アイドル冬の時代」へ突入せざるを得ない。


『俺たちはこんなものを待ち望んでしまっていたのか!?』

古川評(放課後ポッドキャスト【第一部】)

  • 被災地支援の場面では、国民的アイドルの存在意義(生命の象徴)を実感した。
  • 非AKBファンがフラットに観ても十分楽しめる。一本の映画として良く出来ている。
  • アイドルに関するリテラシーを短時間に与えられる映画。
  • 「この映画を観ずにAKBのコトをとやかく言うやつはマジぶっ殺す!!」て気分になる。
    • その意味でいえば、この作品の意図は100%達成されている。

コンバットREC評(放課後ポッドキャスト【第二部】)

  • 「面白いのはわかるけど、アイドルなしじゃね?」と罪悪感を持ちながらこの10年アイドル文化に接してきた。
  • 総選挙後、「大島優子は強い人だ」と自分に都合よく解釈していた。彼女の言葉どおり「これでよかったんだ・・」、と。なわけねーだろ!!
  • 本作品のキャッチコピー『少女たちは傷つきながら、夢を見る』には心底腹が立つ。傷つけてるのはお前らだし、俺たちファンだ。もちろん良いシーンはいっぱいあるが、アイドルやっぱなしだろにより傾いた。
  • 西武ドームのライブはスタッフ、舞台監督の問題。進行管理の問題、フィジカルケアの杜撰さが目に余る。明らかな人災。ましてメンタルケアの体制なんて期待できるわけない。
  • メンバーを取り巻く環境・構造の醜悪ぶりに怒りを抱えて観ていたが、満身創痍のアンコールの場面、高橋みなみの「走れ!!」という掛け声に、「余計なお世話です」と言われた気がした。「ボクシングは危険だからやめさせろ」に近い野暮なことを言っていたのでは。
    • 「危険だからやめて」も必要。少なくとも体制は改善できる(宇多丸氏)
    • 映画の編集・構成で納得させられた面も大きい。
    • 「本人がやりたがっている」でストップを掛けないのはあまりにも無責任。
  • ASAYANの場合、スタジオでナイナイが拾って笑わせるから見ていられた。モー娘も当然酷い状況だったはず。AKB48はそれをただ見せてエンターテイメントとしてしまった。
  • この映画を観て、小学生が「AKBになりたい」と言わなくなったとしたら、それは「大人」側の誠実さかもしれない。(宇多丸氏)
  • 「アイドル是か非か」を考えずに見て来た層にも、「残酷!」と「最高!」のせめぎ合いを突きつけた作品。そこがすごい。
  • 辛くても、結局少女たちは自ら残ることを選ぶという、前向きなメッセージで終わっているところには危惧を覚える。徴兵映画。残酷で魅力的なシーンがたくさんあるだけに賛美に終始したくない。アンビバレントな作品。
  • ジャンケン大会も意外と悪くない。順位を無化する効果。あのくらい負担の軽い企画で息を抜かないとリアルに死人が出る。そこで篠田麻里子が必然性を持って勝つというドラマは神展開。
  • 「大人」がしっかりしないと駄目です。